第1章

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 健一は、忙しかった月などに、慰労的な意味合いで通常の給料とは別に一時金を社員に支給していた。その一時金は、賃金台帳にも記録されている。安藤の言い分では、その一時金を残業代と見なした場合であっても、実際に支払わなければならない残業代には程遠いということであった。今回は、夜遅くまで居残ることの多いデザイナーの残業代がやり玉に挙げられていた。  「しかし、彼らは自分のペースで作業をしているわけですし、本人たちも残業とかという意識はないと思うのですが……」健一は必死に弁解した。実際に、デザイナーたちは自分たちのペースで作業を進めていた。健一も、いちいち細かい指示は与えていない。自分たちのペースで作業をしているのだから、毎月支払う給料以外に賃金を支払う必要などないのではないかというのが健一の主張であった。  健一は、その考えを口にした。それに対して、安藤が反論する。  「おっしゃることもわからんではないのですが、実労働時間に応じた賃金を支払うのが原則なのですよ。毎月の給料の中に、一定の残業代が含まれているわけでもないですよね?」  「まぁ……」言葉を濁しながら、健一は浩二に視線を向けた。  「そうです」浩二も頷く。  「どうしても社長さんの考えでいきたいというのでしたら、会社とデザイナーさんとの間で協定を結んでください」協定を結べば、実際の勤務時間に関係なく一日の労働時間を一定時間に見なすことができるということであった。その場合でも、深夜や休日に勤務した場合の別手当は必要だということだ。  一通り不適切な部分を指摘した安藤が、おもむろに書類を書き始めた。是正勧告書であった。  是正勧告書には、半年分遡って残業代を計算し直した上で不足分を支払えという内容とともに、今後このようなことを発生させないための仕組みを作れという内容が命令という形で記されていた。協定を結ぶ場合は、デザイナーと協議した上で双方が合意する内容を取り決め、労働基準監督署に届け出ろという内容も記されている。  命令には期限が切られ、期限内に報告することを求められた。報告がない場合は、なんらかの処罰が下される可能性が高いという。  是正勧告の内容を確認した健一は、今回の発端となった密告源を確認することにした。密告者が誰なのかを安藤に問い質す。
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