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「今日のノートのコピー」
「悪いな、橘」
放課後になるとすぐに、遥は職員室でノートのコピーを取ってきた。今日の授業で彼が書いたものである。差し出されたその束を受け取ろうとしたが、彼はなぜかしっかりと持ったまま手を離さなかった。
「橘じゃなくて、遥」
「えっ?」
「ややこしいから遥って呼んで」
クラスに橘が二人いるので、確かにややこしいといえばややこしい。彼が友人たちに遥と呼ばれているのは知っているが、その名前を意識したのは初めてである。顔や外見だけでなく名前も女の子みたいだな、と彼に知られたら機嫌を損ないそうなことを密かに思う。
「じゃあさ、俺のことも下の名前で呼んでくれよ」
山田という姓はクラスで自分ひとりだけなので、下の名前で呼ばせる必然性はない。彼のことを名前で呼ぶのなら、自分のことも名前で呼んでほしい、ただ単純にそう思っただけである。一瞬、彼は何か思案していたようだが、すぐに無表情を保ったまま口を開く。
「名前は何?」
「圭吾」
「わかった、圭吾だね」
確認するように復唱すると、机の横にかけてあった山田の学生鞄を取り、いったん手渡したコピーをその中にしまう。片手の不自由な山田にとっては、そんな些細なことでもありがたい。しかし、彼はしまい終えたその鞄を脇に抱えると、もう一方の手で自分の鞄を手に取って言う。
「じゃ、帰るよ」
「ちょっ……」
二つの鞄を手にしてスタスタと歩き出した彼を見て、山田は慌てて立ち上がり、そのあとを小走りで追いかけていく。
「自分の鞄くらい自分で持つって」
「遠慮しなくていいから」
「自分で持たないと落ち着かないんだよ」
「そう?」
必死に訴えると、遥はどうにか山田の学生鞄を返してくれた。ほっとして左手に提げる。いくら何でも鞄持ちまではやりすぎだ。両手が使えないのならまだしも、片手は何の問題もなく使えるのだから。
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