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「気が済んだ?」
彼は濡れた口もとを手の甲で拭い、醒めた声でそう言うと、冷ややかに山田を見上げて畳みかける。
「相手の気持ちを無視して衝動的に行動するところ、相変わらずだね。あらためた方がいいよ」
山田は血の気が引いた。呆然として何も言葉を返すことができずにいると、遥は落ちた鞄を肩にかけ直して山田の前からひょいと抜け出し、何事もなかったかのように平然と歩き去っていく。
「待ってくれ!」
狼狽したまま、遠ざかる彼の背中に声を投げた。その足が止まったのを見て言葉を継ぐ。
「悪かった、どうしても俺のことを意識してほしくてつい……反省してる……」
「僕は、相手を尊重しないひとを好きにはならない。女でも、男でも」
返ってきたのは遠回しの拒絶。
ちらとも振り返ることもなく去っていく背中を見つめながら、山田は呆然と立ちつくした。追いかけたい気持ちはあるものの、足が縫い付けられたように動かない。やがて角を曲がり視界から姿が消えると、全身から力が抜けてその場に崩れ落ちた。
目の奥が熱くなり、視界がぼやける。
取り返しのつかないことをしたのだと思い知り、山田は膝を引き寄せ、そこに顔を埋めて大きく頭を抱え込んだ。無造作に髪をくしゃりと掴む。そのまま奥歯を食いしばりぎゅっと目をつむると、一粒の涙がこぼれ、白く冷たい廊下の床に落ちて砕け散った。
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