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石積み塀に沿ってしばらく進むと、ぐっと緑の香りが濃くなる。
門扉をくぐり、昼間でも薄暗く感じる庭園を抜けると、明治大正に迷い込んだような家が見えてくる。
歴史ある日本家屋といえば聞こえはいいが、夏は暑く冬は寒い、無駄に広いだけの家だった。
「ただいま」
「晴午、ちょうど良かった。本家から電話なの」
「……今行く」
玄関まで迎えに来た母の硬い声が、僕の全身に伝播する。
深呼吸して、受話器を耳にあてる。
「おばあちゃん、久しぶり」
『――その声、晴午さんなの? ……元気にしていた?』
「うん。おばあちゃんは?」
『私は元気ですよ。それよりも、ちゃんと生花に触れているの?』
「――――はい」
『そう。それなら良いの。夏休みには、こちらに遊びに来るんでしょう』
受話器越しの祖母の声は、相変わらず力強く、重い。
僕への期待を包み隠そうともしない。
電話を切ると、どっと疲労感に襲われる。
一秒がこんなにも長く感じられるのは、祖母の声によって神経が研ぎ澄まされていくから。
部屋の引き戸を開け、足元に注意を向ける。
『敷居や畳のへりを踏んではいけませんよ』
祖母には、いつも注意されていた。
『何度言ったらわかるの』
『わざと私に言わせているのね』
僕の名前を呼んだ後には、決まって何かしらの小言がついてくる。
注意力散漫な幼い頃は、畳の多い家の中を歩くのが苦痛だった。下を向いて歩く癖がついたのは、祖母のせいなのかもしれない。
横断歩道も、教室のフローリングも、グラウンドのラインも、意識せずにはいられなかった。
息苦しさを感じる時、あの人を初めて見た日のことを思い出す。
一度でいいから、僕も滝川先輩のように高く跳んでみたかった。
何ものにも縛られず自由に生きられたら、きっと僕の世界も違った景色が広がっていくような気がした。
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