第1章

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彼女の甘いハスキーボイスは、どんなセラピストよりも 私を癒してくれるのだから。    その日、突然に夕方から雪が舞いだした。 会社の連中も早々に退社していった。 交通機関がストップしてしまうという危惧はあったが、 私の足はいつもの店に向かっていた。 生憎の天気のせいなのか、時間が少し早めなのか、 店内は閑散としていた。  客はカウンターの中央に二人、奥のボックスに 三人だけだった。  私は指定席に迷わず進んだ。 「いつもの、下さい」 二ヶ月通い詰めているのだ。 マスターにはこれだけで通じる。 いつものバーテンは休みらしい。  カウンターの客が外を見に出て行き、 「やばいよ、積もりだした」と掛け戻って来た。  その声を合図に、奥の客も動きだした。 「家、近いから」 客を見送ったマスターが、心配気な視線を向けたので、 私は必要以上にのんびりと言った。  嘘ではない。 ここから家まで歩けない距離ではないのだ。  電車が止まり、タクシーがつかまらなかった場合は、 歩いて帰ればいい。  一時間以上かかるだろうが、もう少し、 このままここにいたかった。  こんな日では、あの人は現れないかもしれない。 それでもよかった。  寡黙なマスターと静謐ともいえる空気の中にいるのは、 とても気持ちが良かった。 「すごい雪」  扉の開く音に、彼女の声が重なった。 「あら、さすがに閑古鳥ね」 マスターが手招きして、彼女を私の横に導く。 「お邪魔じゃない? この人、いつも一人で 静かに飲んでいらっしゃるから」  私を記憶していてくれたことが、単純に嬉しかった。 「そんな、たまには話し相手がいるのもいいです」  あなたのような素敵な女性なら、なおさら。 心の中で呟いた。  彼女はニッコリと笑いかけてくれた。 「オンザロックにして」 「なにか、面白くないことでもあったのか」  マスターの口調がフランクなので、つい二人の 仲を疑ってしまう。 「面白くないことが、近付いてくるのよ」 ダークレッドの形のいい唇が歪んだ。 「お雛様。お雛祭りよ」 彼女は一気にグラスを傾けた。 「それだけじゃないだろ」 マスターはウイスキーを注ぎ足す。 「まぁね、仕事の方はいいんだけど、あいつとは、 もうダメみたい……」  愁いを含んだ横顔も美しかった。 「あれだけ迫りまくって、やっと落としたのにか?」 マスターの声にはまったく緊迫感がなかった。
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