第1章

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僕は焦っていた。 目の前には通帳と見なれた財布。 就職祝いに彼女から貰ったものだ。 その彼女はこの財布を残して、去っていってしまった。 理由は、僕がたった三か月の試用期間も終わっていないうちに勤め先を退職したから。 彼女とは大学からの付き合いで、向こうが結婚を考えているのは何となく察していた。 比較的裕福な家庭に生まれたこともあるだろうが、彼女は就職活動もせず僕の応援に一生懸命だった。 僕が内定をもらった時には自分のことのように喜んでくれて、僕も漠然と、彼女と結婚して普通に家庭を持ち、普通に一生を過ごしていくんだろうなと思っていた。 けれど女は正直な生き物だ。 僕が辞めたいと告げた時はこちらが心配になるほど顔を真っ青にし、必死で説得を始め、僕の気持ちが変わらないと分かると今度は真っ赤な顔で部屋を飛び出していった。 そして「さよなら」という一言のメールとくれた財布を残し、二度と帰ってこなかった。 そんな彼女に見放された僕だが、もうすぐ貯金も尽きる。 今月中に仕事を見つけなければ、来月の家賃や光熱費を払って僕は破産だ。 次の就職先を探していないわけじゃないけれど、なかなか決まらなかった。 さすが就職難の時代。 少しは改善されたと世間では言っているけれどとんでもない。 当事者にとってみれば、自分が決まらなければ就職難に変わりはないのだ。 とりあえずアルバイトだけでも思ったけれど、今の家賃を払うにしろ、もっと安いところに引っ越すにしろ、最低限欲しい給料は決まってしまう。 時給を計算するとなかなか割のいいバイトなんて転がっていなかった。
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