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○涙が枯れて、僕は曖昧模糊だった記憶を少しだけ思い出した。僕は病室で目覚めた時点では、自身が誰なのか分かっていなかった。ただぼぅっと天井を眺めて、眠たくなったら寝て。考えるという行為をしなかった。体が痛くて、その現実から目をそらすように、植物みたいに僕は過ごしていたのだ。
○それが、担当医の手が動かない右足に触れた時、ずっと暗闇に隠れていた記憶が勝手によみがえってきた。生まれてからバスに衝突するまでの記憶が走馬灯のように、瞬間的にフラッシュバックした。
○馴染みのある顔ぶれが次々と現れて、僕に笑いかけているようだった。
ーー僕に一体なにが起きたんだ?
○フラッシュバックの果てで、最初、そう疑問に思った。そして僕は担当医の言葉を聞いた。
○指示の通り右足を上げた。膝から下に、なにか余計なものがくっついているような感覚がした。しかしそれは紛れもない、僕の足だったのだ。
○恐る恐る、僕は尋ねた。
『ぼくは…僕はまた、部活ができるようになれますか?』
○とても久しい僕の声は、がらがらの乾ききった喉で途中むせかけた。
○担当医は答えた。その瞬間、心中から焦りのようなざわめきが起こった。長い時間が必要だと聞いて、それは何年後なんだと訊きたかった。だが、担当医は俺の顔から目をそらして、病室出入り口に立つ母のほう
へ行ってしまった。母もこちらを見ていなかった。
○母すらも見ていられなかった僕を、城崎さんだけは見ていてくれていた。
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