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6月の卒業を待って、慌しくアレックスは中国へ旅立っていった。
出発前に故郷には1週間ほど戻ってきたが、出発の準備も兼ねていたため、アナとゆっくりできたのは一晩だけだった。
荷物も全て送ってしまって、明後日は空港へと向かうという日の夜。
アレックスは町で人気のレストランを予約した。
前日にしなかったのは、その日くらいはゆっくり両親と過ごしたら、というアナの言葉に従ったからだった。
本音をいうと、明日は遠くに行ってしまうと思ってしまうそんな日に一緒にいたら、泣いているだけの悲しい日になりそうな気がしたからだが。
料理は創作アメリカ料理で、とてもおいしかった。
安くはないはずなのに。アナは彼の心遣いが素直に嬉しかった。
レストランを出ると、意外に足元が明るい。
空を見上げると、黒い闇をそこだけ丸く切り取ったような、きれいな満月が出ていた。
「アナ」
アレックスはアナの手を握り、そっと自分の方に引いた。
「いいよね?」
彼の目線は、レストランのはす向かいにある、最近できた小さいが瀟洒なシティホテルに向いていた。
「君のひとつひとつを、覚えておきたいんだ」
アナは少し恥ずかしそうにうなづいた。
もちろんこのことは事前に了承済みで、アナは家族には友達の家に行くと言ってあった。
おそらく母は本当のことに気づいていたのではないかと思うが。
言葉通りアレックスは、アナの額からつま先まで、ひとつひとつに大切そうに触れていった。
その度にこらえきれず漏れるアナの吐息を、彼は唇でまた奪い取る。
何度も高みに達しながら、アナはこの夜を決して忘れないだろうと思った。
それはアレックスにとっても、同じ思いだった。
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