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上海での仕事開始から約1年。
夏の終わりに事務所がいよいよ本格始動することになり、アレックスら設営チームの皆は達成感で気分が高揚していた。
初めのころは行き違いも多く、いったいどうなることかと思われた現地採用スタッフとの関係も、今ではお互いに肩をたたきあって笑いあうくらい、心が通じている。
「やっとここまで来たよ。本当に長かった」
ある日アレックスは喜びを伝えようと、夕方アナに事務所から国際電話をした。
「そうなんだ。よかったね。ごめん、これからエリカを車に乗せていかなきゃならないから」
「そっちはまだけっこう朝早いよね? エリカちゃん、部活か何か?」
アナはエリカを精神科医のところへ連れて行くところだった。
「ううん、違うけど。遅れるとまずいから、切るね」
数ヶ月ぶりに聞けた彼の生の声を、そうやってアナはあっさりと絶ってしまった。
彼の喜びを、どうして素直に私も喜べないんだろう。
あんなにがんばってきたのに。
そんな自分が嫌だった。
でも。
彼の住む世界は、今の自分が住む世界とはあまりに、遠い。
決して地理的な意味だけではなく。
アナは下唇を噛むと、車の脇で生気のない顔をして自分を待つエリカのもとへと急いだ。
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