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のこった、の掛け声がかかった関取のような形相で迫ってくる亀津。俺がつっぱりの危険を感じた瞬間、
「いやー、瞬が亀津さんのことを『好き』だったとは知らなかったなぁ!」
森の清々しいほどに透きとおった声が響き渡った。
微妙な表情を浮かべて後ずさっていく亀津は、
「なんじゃん、キモいじゃん……」
とかなんとか呟いている。
そして満ちるなんとも言えない居心地の悪い空気。
俺もどうにか席に座り直すと、森が満足そうに俺の顔を見つめていた。なんだそれ、もうちょっとマシなフォローがあったんじゃないのか? まあ、命を救われたことは感謝だが……。
やがて駿河が仮面少女の目撃情報を詳細に裏木たちに尋ね始め、俺はどうにか落ち着きを取り戻すことができた。
しかしこんな山奥にまで俺たちを追ってくるとはな。
「……仮面少女に相当好かれているのかな?」
そう森に呟くと、森は意味ありげに大きく肩をすくめて返した。いそいそと残りの蕎麦を平らげ始める。
……ふむ。俺もそれ以上は水を向ける気にはなれず、いつも以上に静かだな、と思いオタクどもに目を向ける。と、やつらは見事に破損したカメラを胸に抱き、いまだにしくしくと泣き続けていた。しかしどこか幸せそうな涙にも見えた。まあ、おまえらの崇拝する「天使」たる駿河に破壊されたのだから、それも無理はないのかもしれない。とりあえず、仮面少女に盗まれるよりはマシだったと言えるだろう。それでも理解できぬ色の涙を流し続ける「キモい」男たちを、俺はなんとはなしに眺め続けた。
陽が中天よりはやや傾いた頃、俺たちは目的のルートに入っていた。
緩やかな流れの沢を遡行していく。無論、沢装備で身を固めていたのだが、入渓後まもないうちはやはり慣れずに難儀した。廊下状になっている部分を避けつつも、少しずつ前進していく。天気が崩れることがなかったのは幸運だった。霧もなく見晴らしがいい。水のせせらぎを聞いているだけでも、心地よくなってくる。
沢を踏破すると河原になり、だいぶ歩きやすくなった。会話する余裕も生まれてくる。
「あれだけ人だらけだったのに、いまはずいぶんと寂しくなったね」
森が擦り寄ってきてしみじみと言った。
「それはそうだろう……。なにもわざわざこんな山の中に入っていこうなんてのは世捨人くらいのものさ」
少なくとも平均的な人間のすることではないだろう。
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