小さな鍵

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「――製作所?」  先ず目に飛び込んで来たのは、俺がかつて勤めていた会社の名前が印刷された紙だった。  嫌な巡り合わせだと思わず眉を寄せながら、俺は更にスーツケースの中を探る。  会社関係のものが入ったスーツケースを手放すなんてどんな神経かと思うが、何か理由があったんだろうか。  そこで俺は、その中にあるには不釣り合いなモノを見付けた。  それは一枚の色紙。  それを手にしたまま、俺は震えていた。こいつは、俺のスーツケースだっ!?  上司と先輩を殴って会社から逃げ出したあの日、会社に置いてきたスーツケース。  どこをどう回って来たのかは知らないが、間違いない。  親と友人が、良い会社に入るんだからと贈ってくれた。当時の俺には不釣り合いな、高級なスーツケース。  そして色紙に連なる、懐かしい名前達。  小学生から高校まで腐れ縁だった親友、中学からつるんでた悪友達、高校で補習を共に戦った戦友。他にも、何人もの懐かしい名前が。  あの日の頃の顔のまま、頑張れ、負けるな。そう俺に語りかけていた。  だからずっと、忘れていたのかも知れない。  会社を辞めちまった俺が、あいつらに顔向け出来ないって。  色紙にポタリと雫が落ち、俺は慌てて目元をゴシゴシとやる。  はは、泣かせてくれるよ。ホント。 『あぁ、もしもし?俺、久しぶり。ごめん、ずっと連絡しなくてさ。いや、そっちに帰ろうと思って。はは、そう。逃げんの。頑張ってみたけどさぁ、俺は都会が似合わないってようやく分かったよ。 皆は元気してる?そう、なら良かったよ。じゃあな母さん、会えるの楽しみにしてる』  思い立ったが吉日、じゃないが。俺はすぐに実家へと電話を掛けていた。それすらも数年ぶりだ。  久々にドラ息子から連絡があったってのに、相変わらず優しい声で迎えてくれた母さんにまた涙腺が弛む。きっと歳の所為だな。  こっちで片付けなきゃならない事も山積みだし、あっちで仕事も探さなきゃならない。  でも、まぁ。懐かしい仲間達に囲まれて暮らせるかも知れない事を思うと。その程度、と思えた。  来週、また、フリーマーケットにも顔を出そう。  どう手に入れたかは知らないが、あの老婆にもお礼が言いたい。  わざわざ部屋のテーブルに飾った色紙を見て、俺はにんまりとしながらもこれからするべき事に向けて気合いを入れ直した。 (了)
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