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しかし、結論から言うと、金を奪って胸が痛むような人間は「ただの一人もいなかった」。シンがそういう人間ばかりを選んでいたのかは知らないが、みんな立派な服を着て、血色もよく、いかにも『善良そう』、といった風の人間だった。見た目だけは。シンや品野みたいな「人を傷付ける事になんの抵抗も感じない」という人間ではないが、道に転がるホームレス達のように「生きる事さえ困難」という人間でもない、普通に生きている人間。普通に生きていられる人間。それでも、例えば母一人子一人で苦労して暮らしてきたとか、奥さんを病気で亡くしたとか、食べて疲れて寝るだけのような過労死しかねない過酷な生活を送っているだとか、誰かのために身を粉にして働いているとか、そういう人なら、ぼくは心を痛めたし、金を奪うなんてしなかっただろうが、そういう人もいなかった。今日の老婦人なんかは着物と琴が趣味らしい。「食べるのに困ってなくて幸せですね」と、その程度の事しか思えなかった。だから、ぼくは彼らが傷付いたって、ちっとも心を傷めない。心なんて傷まないと、そう言い聞かせる事にした。
ぼくは「事務所」の階段を降りると、そのすぐ下にある扉を開けた。「受け取り場所」と「本部」を同じビル内で分け合うなんて、と思わないでもないが、これも用心のためだ。「受け取り場所」と「本部」を分けておけば、「受け取り場所」がバレても「本部」は逃げられる、ぼくはシンにそう言った。もっとも、ビル全部を調べられたら「本部」も一網打尽だろうが、別にぼくはそれでも構いはしない。ぼくの目的が達成されるまで捕まりさえしなければいいのだから。本当は、人相の悪い人間が大勢たむろってたら勘付かれて逃げられる、というのが一番の要因だったのだが、そこまで説明する気はさらさらなかった。
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