第六部

4/23
前へ
/23ページ
次へ
弁護人の信じられない一言に、ぼくは目を見開いて弁護人の顔を見た。この人はなにを言っているんだ?責任能力?この人はぼくが錯乱していたとでも、発狂していたとでも言いたいと、そう言うのか。 「現在の被告人は、非常に理知的な態度でこの裁判に臨んでいる。とてもあのような残虐な事件を引き起こしたとは思えないぐらいに。裁判長にきちんと挨拶をした姿も受け答え方も、まるで憑き物が落ちたようじゃないですか」 「異議あり!犯行現場に残っていた証拠品は、実に緻密に周到に用意されたものだった!心神喪失状態であのような行動が取れるはずがない!」 「被告人は中学時代に右目を負傷し、その後『いじめを受けていた』という"妄想に取り憑かれてしまったのです"。再び中学校に出席する事も出来ず、家を出奔し、ホームレスにまで身をやつし、"妄想に取り憑かれていた"被告人の精神状態は筆舌に尽くし難い状態だったのです。そこに被告人が自分をいじめていた、と"思い込んでいる"品野氏らに出会ってしまい、"現実と妄想の齟齬から彼らが自分をいじめた事を覚えていないと思い込んでしまったのです"。私はこれは十分に、心神喪失状態に該当すると思います」 「ふ・・・ふざけるな!そんな・・・そんなくだらない妄想のせいで、うちの子達は殺されたと言うのかっ!」 「そ・・・そんな、あんまりだわ!この気違い!返してよ!うちの子達を返してよっ!」 「そんな事で無罪にされてたまるものか!こいつは人殺しだ!死刑にしてくれ!死刑にっ!」 「静粛に!静粛にっ!」 「どうです、うまくやったでしょう」と言わんばかりの弁護人を呆然と見つめ、背中に罵声を浴びながら、ぼくはそこに立っていた。なんだこれは。心神喪失状態?「いじめを受けていたという妄想に取り憑かれていました」?なんだそれは。ぼくがいじめられていたのは、事実だ。紛れもない、ただの事実だ。決して、ぼくの妄想なんかじゃない。ぼくは人は殺したけれど、でも、狂ってなんかはいない。気違いでもない。ぼくは正気だ。正気なんだ。正気で、人を殺したんだ。全部「終わる」と『理解』しながら殺したんだ。それなのに、妄想で人を殺したなんて、そんな、そんな、そんなひどいことを誰にも言われる筋合いはない。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加