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「あはは。いまさら何言ってんだか」
ちょっと無理やり微笑んで、私は一歩前へ踏み出した。フェンスから離れるにつれ、いままで大人しかった風が私の身体に纏わりつく。まるで、一緒に風になろうと誘っているようだ。
私は天を仰いだ。軽く目を閉じ、そして開く。ちょっと落ち着いた心で見れば、黄色い月はクロワッサンみたいで美味しそうだ。そう考えると、最後の晩餐が病院食というのはなんとなく未練が残る。
――と。だめだ、だめだ。
――こんなこと考えてたら、いつまで経っても死ねやしない。
意気込みながらも、やはり私は震えていた。
でも、これは私の人生。私の人生は、私の手で決める。
わけのわからない病気に決められるなんてまっぴらだ。体中を管で繋がれて生きるなんてまっぴらだ。ありもしない希望にすがるなんてまっぴらだ。
そんなの生きてるなんて言えない。生きてるなんて言わない。
――死のう。
そう、決めて。私はここに来た。
たっぷりと息を溜め、胸に握った手を当て、小さく気合を込める。胸に当てた手が、ドクンドクンとうるさく鳴り響く心臓に、何度も何度も叩かれる。まるで、心臓が握った拳を、決意を振りほどけと言っているようだ。
「……もう、死ぬよ」
死ぬ。
そう言葉に出したら、突然力が抜けた。
足に力が入らない。ガクッと、膝が折れそうになる。
まるで、何か得体の知れない力に導かれるように私の体がさらにフェンスから離れる。
視線が、足下に、深い底知れぬ闇に吸い込まれる。
――……いや、これでいいのか?
私は、さらに全身の力を抜いた。
絶望から、苦悩から、先の見えない未来から、不安から解放される。
ゆっくりと動く周りの世界。脳裏を駆ける走馬灯。
直立する体。あと、ほんの少し重心を傾ければ全てが終わる。
死は、もう目の前だ。
「四季川さ―んっ!」
目の前にあった死は、屋上に響き渡った声に驚いて逃げて行った。
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