第1章

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 誰もが哲学をしているというのは理解できた。人は悩みを抱え、考え込んだ時には、哲学的な問いを自然としてしまうものだ。しかし、「人生とは何か?」を考える事が哲学なのだろうか。哲学者達の過去の功績(といっても具体的には知らないが)はどうなるのだ。 「でも、哲学には色々な理論があるんじゃないか」  「過去の哲学や他人の哲学は大して役には立たないよ。まったく役に立たないと言うと語弊があるけど、まあ哲学は自分で創るのが一番だね。『哲学』という言葉は古代ギリシアでは学問一般を指す言葉として使われていたんだが、その後学問が多様化するなかで、哲学は独立した一つの学問として捉えられるようになっていったわけだ。宇宙には何があるのか?なぜ円周率は果てしないのか?なぜ人の心理は定まらないのか?なぜ言語は多様なのか?・・・学問は問うことと答えることで成り立っているからね、正にそれは哲学的フィールドなんだよ。哲学を自分で創り上げることは、考える力を養うことにつながるから、君もやってみるといい。と、言っても既 にやってるだろうから、もう少し掘り下げて考えればいいだけのことだ」  過去の哲学がバッサリ切り捨てられて唖然としたが、確かに一般の人間が、カントやニーチェの哲学を知っていても、教養にはなるだろうが実用的ではない気はする。哲学には学問的哲学と一般的哲学があるということか。しかし、自分で創った方がよい哲学ができるものなのだろうかと思った。  考えている間にも、相談屋は喋り続けていた。  「まあとにかく哲学者ってゆうのは、悪く言えばひねって考えすぎなんだよ。自分の思考を学問的に説明づけようとして深みにはまるパターンが多くてね。そもそも人間の思考は、矛盾を抱えながら生きているのが普通なんだよ。左と右の脳に別の人格が存在しているようにね。説明しようとすると、矛盾があることに気付いて自己嫌悪になるのがオチだ。それでも哲学者は真面目だから、考え続けてしまうんだろうけどね」  「君は哲学が嫌いなのか?」
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