第1章

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 とにかく変な男だと思った。見た目通りの、常識的な話し方をする割には、辛辣なことを言ったり、あまりに断定的な発言をしたりする。それらの言葉が、彼の非常に独創的な考え方や発想によってなされているのであろうことは、よく分かった。本人にとっては、当たり前のことを、言っているつもりなのかもしれない。  なぜ、哲学の話になったんだ。  ひょっとして今の話は、相談屋と哲学は重要な関係があることを、暗に示したかったんだろうか。これから、その説明が彼の方からあるのかと思って身構えたが、男は寝転がったままで、それ以上喋る様子はなかった。  駄目だ。どうもこの男は、まだ何か隠していることがあるような感じがするし、いんちき臭い印象が拭えない。  相談屋は突然飛び起きると机の引き出しから二十センチ四方ぐらいの鏡を取り出した。それを机の上に立てて、鏡面をこちらに向けると私の顔が映る。  「ひとつ哲学的な問題をだしてあげよう。さて、鏡の中のあなたと鏡の中にいないあなた。どちらが本当のあなたでしょうか?」  「もちろん鏡の中にいないほうだ」  「残念。正解はどちらもあなたではない。鏡の中にいるのは虚像だからあなたではない。実体はそこにいるあなただが、あなたは自分の存在があることを鏡を見たからといって確信できない。デカルトは『我思う故に我あり』といったがそれは自分の存在を証明しているにすぎない。実体が存在していることを証明できないのだ」  詭弁だ。この男は何が言いたいんだ。  「私の実体はちゃんと鏡の中に映っているじゃないか。それで十分だろう」  「なぜあなたは鏡に映っているものを信用できるんですか?単なる光の反射じゃないですか」  「しかし、あなただって私の実体がここにあるからこうして会話できるのじゃないですか?」  「もちろんよく見えていますよ。しかし、私の眼から見えるだけであって、あなたには見えていない」  埒があかない。科学的な証明と同じで前提を否定されてしまってはどんなものも不安定にならざるをえないのだ。何とか相談屋の天狗になった鼻をへし折りたい。 「君の考える絶対的な哲学とは何だい?」  「『何かを得たときには何かを失っている』ということさ」
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