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「私は自分のことを医者とは思っていないし、ましてや科学者であるとも思わない。もちろん、世間的には医者として通っているがね。純粋な探究心が私を突き動かしている。それが人間の本質であり、その本能があるから人類は発展していくことができるのだと思っている。『シュレティンガーの猫』という思考実験を知っているだろう。猫の生死は観測するまで不確定であり、観測する以前は生と死が重ね合わさっている。今回の手術も同じだ。私は結果を気にしてはいない。結果以前が重要であり、全てであると思う。私は脳外科手術は勿論それ以外の手術も経験してきている。死体を解剖して体の隅々まで調べたこともある。しかし、どれだけ細かく調べてみてもどこにもこころというものを発見できないのだ。毛細血管の先からニューロンの先端まで調べてもだめだ。顕微鏡を覗いてミクロのレベルまで見てもまったくみつからない。この課題に挑まずに死んでいくのは忍びない。私はすべてが知りたいのだ。すべてを知り尽くして何の疑問も持たずに死んでいきたい。」
博士らしい答えだと田宮は思ったが、胸の中にはまだドロドロとした懸念が渦巻いて仕方が無かった。
「私は自分のことを医者だと思っています。正直言って有能でもないし、野心に満ち溢れているわけでもありません」
博士は少しだけ表情を崩した。
「わかっているよ。君は有能な普通の人間だ。怪物じゃない」
博士は内ポケットから手帳とペンを取り出すと何か書き始めた。ページを破り取り、田宮に手渡す。
「ここに行ってみるといい。すべては主の御手の中にだよ」
そう言いながら博士は力を込めて立ち上がると巨体に似合わない颯爽とした動きで診察室を後にした。
田宮は手帳に書かれた文字を見ながら、博士が神に祈る様を想像しようとしたが適わなかった。
やはりわからせるしかない。前進するしか手はないのだ。
田宮はカルテをファイルに挟み戸棚にしまうと白衣を脱いでイスの背もたれにかけた。
イスに座りなおしメモに書かれた電話番号をダイヤルすると呼び出し音がしばらく続く。ようやく電話口に出たのは男の声だった。
「もしもし。今からなんですが大丈夫ですか?・・・わかりました。これから行きますので、はい」
受話器を置いて紙に書かれた住所を確認すると同じ中野区内だった。歩きでもそれほど時間はかからないだろう。
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