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瞼が重い。
このままだと、本当に意識を持っていかれそうだ。
でも、目を開けることができなくて、次第にふわふわした感覚に包まれ始める。
仕事は今からなのに……。
意識の片隅でそう思うも、ぬるま湯に身を沈めたようにズブズブと心地よさに嵌まっていく……。
不意に影が差した。
「襲われるよ?」
ビクリッ
唐突に降ってきた声に、なかなか開けられなかった瞼がばっちり持ち上がった。
睡魔に溺れかけて自分の状況を忘れかけていたのと、驚きとで、手にしていたマグからコーヒーがこぼれ落ちた。
「おわっ」
跳ねたコーヒーが、声の主のスーツに飛び散った。
「ああっ、ごめんなさいっ!!!」
慌ててシンク横にカップを置き、綺麗な布巾を取り出して水に濡らして固く絞ると、ハンカチで腕を拭っている彼に向き直った。
「脱いでっ」
「えっ?」
「早く!!」
渋々彼はスーツの袖から腕を抜く。
自分のハンカチを袖の中に突っ込み、汚れた箇所の裏側に当てると、濡れ布巾で汚れを叩き出す。
ライトグレーのスーツには大きなコーヒー染み、飛沫も所々見てとれる。
あー、やっちゃった……。
トントンと生地を叩くが、染みは簡単に取れるわけもなく。
「参ったな、今から会議なんだけど」
そう呟かれて顔を上げると目の前には困ったように笑う秋葉くんが立っていた。
「ごめんなさい。これ責任持って私がクリーニングに出すから。
えと、今日は外回りは?」
「んーと、昼から予定」
そりゃそうだよね、営業だもん。
社外に出ちゃうよね。
今日は内勤だったりしないかなあ、なんて都合のいいことを考えた自分が嫌だ。
「いいよ、一度うちに帰ってから出先に向かうよ」
秋葉くんは笑って答えると、ちらりと腕時計を見た。
「やべ、会議始まる。
秦野さん、それ預けていい?俺、行くから」
「うん、本当にごめんね」
秋葉くんはくるりと背を向け、一歩足を踏み出したところで止まった。
彼のスーツを抱えて背中を見送っていた私は、足を止めた彼に「急いで」と声をかけようとしたのだが、その前にニヤリと笑った彼が首だけを向けて爆弾を落とした。
「あんまり人が来ない給湯室で、キス顔なんかして立ってたら、誰でもチューするよ?
今度見つけたらするからね?」
キス、顔?!
固まる私に満足したのか、クスクス笑いながら、壁の向こう側に彼は消えた。
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