融かされたい

31/142
前へ
/290ページ
次へ
日頃の睡眠不足のせいか、それとも緊張から解き放たれた安堵のせいか、珍しく寝落ちしてしまった。 目が覚めたとき、スマホの画面は昨夜の小説の中盤あたりを表示したまま。 いつもなら電源を落として充電するスマホを一晩中握っていたので、バッテリーは半分を切っていた。 ちょっとヤバイっ!! 慌ててプラグを差し込んで、朝の支度を始めた。 トーストをコーヒーで流し込み、化粧と着替えを済ますまで一時間。 家を出るギリギリまで充電をしたけれど、バッテリーは八割くらいしか回復していなかった。 今日の昼休みも閲覧はお預けになりそうだ。 朝一番から残念な気持ちになる。 せめてもの救いは、昨日のひどい天気は回復して、時折青い空が見えること。 昨日の雨は寒さを引き連れてきたようで、今年初マフラーを巻いた。 どんどん冬が近づいている。 出勤して、いつものように業務をこなす。 昨日のデータ入力の続きを淡々とやっていたら、あっという間に午前中は過ぎた。 今日のお昼は何にしよう……あんまりお財布の中身も余裕ないんだけど。 そう思いながら財布を開いたときに、クリーニング屋の伝票が目についた。 あ、スーツ。 慌てて時計に目を走らせた。 昼休憩は五分過ぎていて、ついつい溜め息。 急いで出ないとご飯食べ損ねちゃう。 同じ轍を踏まないように、スニーカーに履き替え、空の紙袋を持って社外へ出た。 寒さに身を竦ませたけど、歩き始めてしまえばきにならない。 パンプスよりは断然歩きやすいし、早足で歩くお陰で体も暖まってくる。 クリーニング屋のおじさんが、伝票を確認して手際よくラックからライトグレーのジャケットを取り上げた。 「ここね、コーヒー染みだったところ。落ちましたから」 ニコニコしながら袖を見せてくれた。 飛び散っていた染みも綺麗に落ちていて安堵する。 「ありがとうございました」 お礼をいって店を後にした私は、店の前でまた足を止める羽目になった。 「……何でいるのよ」 一昨日と同じ場所に、秋葉くんが立っていた。 「もう、自分で取りに来る時間あるんじゃん」 ついつい呟くと、彼はぶっと噴き出した。 「たまたまだよ、外回りが終わったの。 それ、貰うよ。ありがとね」 秋葉くんが手を伸ばす。 私はむくれたまま、ビニールのかかったスーツのジャケットが入った紙袋を差し出した。
/290ページ

最初のコメントを投稿しよう!

154人が本棚に入れています
本棚に追加