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伸ばされた指先が、紙袋の取っ手を握る私の指に触れた。
その冷たさに背筋にぞぞりと震えが走った。
「つめたっ!!」
思わず口にした瞬間秋葉くんは手を止め、申し訳なさそうに呟く。
「あー、ごめん」
改めて私の指に触れないように、上部を握って私から紙袋を奪うと左手に持ち変え、空いた右手をショートコートのポケットに突っ込む。
秋葉くんによく似合っている柔らかそうな茶色のショートコート。
袖口についた鈍い銀色の大きなボタンをぼんやり眺めながら、もしかしたら結構な時間、私を待っていたのではないかと考えが及んだ。
「……ねえ、いつから立ってたの?」
彼はわざとらしく口角を上げ、曖昧な笑みを見せてからこう言った。
「暖かいそばが食いたい。うどんでもいい」
「は?」
「付き合ってよ、お昼」
はあっ?!
何で私が付き合わなきゃならないのよ、冗談じゃな……
「美味い天ぷらそば食いたくない?稲荷寿司も旨いんだ」
……モードが和風だしになってくる。
二日続けて鶏肉だったから、あっさり食べられるものに心惹かれた。
寒さも身に沁みるし、温まるだろうな、おそば。
誘惑に駆られて心が傾きかけたとき、脳内にゆるふわボブの影が過った。
「俺、次のアポまであまり時間ない。行くよ」
うん、やっぱり辞めよう。
こういう場面、誰かに見つかると面倒だ。
「……一人で」
スーっと冷たい風が背中から吹いた。
その瞬間、甦ったのは秋葉くんの指先の温度。
冷たかったあの指先。
行きなさいよ、と言いかけた口を閉ざした。
少なくとも待っていたことに間違いは無さそうだし、考えても見れば、一昨日不本意ながらご馳走になってしまったランチのお返しをするならうってつけだ。
「……お出汁にはうるさいよ、私」
先を歩く背中を追いかけながら、憎まれ口を叩いてみた。
実際は嘘。
特定のお店もなければ、味にこだわったりもしていない。
秋葉くんが振り返る。
「絶対旨いよ」
私の挑発をするりと交わして、彼は自信満々に答えた。
いつもの秋葉節。
やっぱりいけ好かないのだけど。
なぜだかこの時、私はふっと笑っていたんだ……。
案内された店は会社からあまり離れていないのに、入りくんだ場所にある上に、大袈裟な暖簾も掛かっていない、小さな表札だけの店だった。
穴場。
そんな言葉がぴったりの店なのに、空席は僅かで、私たちはかつがつ腰を下ろした。
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