賢き愚見の愚犬

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犬と言うものは人類の友らしい。曰く、僕の飼い主、或いは買い主が仰っていた。僕が僕なのは僕が僕だからだ。犬が人類の友になり得るのか僕は考えたい。僕は僕だが、僕は僕だと思うのは、忠誠心と解釈する。二重傾向として畏怖と尊敬の意を持つ。 野良犬は従うのを止めたか、買い主に捨てられたか、それか、云々でそうなる。望まなかったり、望んだり。僕は飼い犬だ。壁と屋根と暖かい絨毯の敷かれた部屋で寛げるだけの身分は保証されている。一概に飼い犬であれば保証されるのではなく、飼い主が良かったから野良犬より楽で幸福なんだ、つくづく偉そうに思う。僕の主は僕を代えのない友人だと何時も僕を撫で、連れ歩く訳だ。 今日も胴体に器具を取り付け街中を歩く。四足歩行の辛い部分は夏場の尋常ならざる熱さだ。蹠球、要するに肉球に伝わる熱さときたら鉄板焼をされている気分と該当する。経験はないが、夏場のマンホールの蓋は卵を焼ける。あれは熱い。それに人間と身長が違う。照り返しで暑くて暑くて、喉が渇くし目眩もする。 そうして、気を紛らわす為にもコンクリートに聳え並び、密集するビル群の中を淡々と歩む人々を思うのだ。最初は軽く、先程通り過ぎた中年男性にしよう。スマートフォン、スマートホン、どちらを明記すれば正しいかまでは犬なので僕は知らないけれど、スマートが薄いだとか、多機能だとかの意味を含むのは知っている。そんなものが流行りガラケーとやらが追いやられる近年ガラケーを手に歩む中年男性を推察する。
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