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迷いがある。
直感的に思った。
「本当に蓮さんはデザイナーを辞めなくてはいけないんでしょうか?」
ここが言うチャンスだと一気に核心を突いた。
景虎さんは動じる素振りもなく、ゆっくり私へと視線を戻す。
「仕事量からして兼業は無理だと前にも言っただろ」
「そうですけど。どうしても、ですか?全くデザインの仕事から遠のかなくても……」
「そういう約束だ」
「駄目ですか?」
「駄目だな」
「ほ、本当に?」
「駄目だ」
最後のダメ押しで、きなこをみたく首を傾げて懇願してみたけど、即断された。
駄目だ。私じゃ、やっぱり。
ここまで来てもどうすることもできない。
私はいっぱいかけがえのないものをもらったのに、蓮さんの行く先を少しでも明るく照らす材料すら手に入れることができない。
自分の無力さに肩の力が抜けて頭も下がる。
仕舞いには情けなさから視界が潤みを帯びてきた気がして、誤魔化そうと何度も瞬きした。
「そう、しょげるな」
あまりにも惨めだったのか。景虎さんからも慈悲の声が掛かる。
そんなこと言ったって……。
べそを掻きながら頭を上げると、景虎さんはその顔を見てため息とともに腕を組んだ。
「君の服は蓮が作ったものだろう?」
「は、はい」
「よく似合っているからすぐにわかる」
私の今日の服装は蓮さんからもらったワンピースだ。
夏の力強さを感じるような鮮やかなグリーンで、腰回りを同色のベルトでリボン結びにしている。それと大きなビジューがついたベージュのクラッチバック。イヤリングはゴールドの蔦が這うようにして囲んだパールが揺れている。
「唯に似合うよ」と彼があの部屋の中から選んでくれたものの一部。
蓮さんの作るものは鮮やかだけど無駄なものがなくシンプル。だけど細部にまで拘りのデザインを施しているから、ありふれた既製品にはない『特別感』みたいなものが心を擽る。
「蓮さんの作ったもの、よく見てらっしゃったんですね」
「俺もあいつの才能は認めている。でなければ十年も泳がせていない」
「だったら、どうして……そこまで認めているのに」
意図が掴めなくて、首を傾げる。
私の問いにめずらしく苦みを混じらせて口を閉ざした。
私を睨む。だけど、不思議と怖くなくて、私は根気強く再びその口が開くのを待った。
少し重い空気が満ちる中、睨み合いの末、先に動いたのは景虎さんだった。
私から顔を逸らして、軽く天を仰ぐ。
そして、
「あー、怒られるな」
と疲れたように呟いた。
誰に?
と問う前に景虎さんはぐいっと私へと顔を戻す。
その顔はどこか自棄を起こしたようなものだった。
「正直言うと、俺は跡継ぎなんて誰でもいい。俺は仕事と金は好むが、自分の手から離れてしまったものは、どうなろうと興味がない。朱里が継ごうが、その子供の環が継ごうが、好きにすればいい。さらに言えば、特に血族にもこだわらん」
「じゃ、じゃあ、なんでここまで蓮さんを?」
「夕子がそう決めたからだ」
景虎さんの口から出た名前に一瞬頭がフリーズする。
浮世離れするほど儚げで、聖母のように優しげに微笑む中に、どこか澄んだ氷を彷彿とさせる強さを持つ人。
そして、誰よりも蓮さんのことを大切に、我が子のように育ててきた人。
「会長が?」
信じられなくて問う私に、景虎さんは諦めた表情で頷いた。
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