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「部屋では長すぎて小回り効かないからな。やっぱいざって時は柔道だろ」
「いやいや、お前ね、普通素手とか危ねぇから。あれはタイミングがよかったからだろ。広いところではリーチが長いほうがいいに決まって......」
「その話題は後にして」
お兄ちゃんと真鍋さんの言い合いを志帆さんが強制終了させる。
先ほどまで私と同じくらい取り乱していた志帆さんもいつもの冷静な彼女に戻っている。
もう恐怖は去った。そう告げているようで少しだけ私を安心させた。
「とりあえず、今日は私の部屋に行きましょう。この部屋で今日ゆっくり寝る気分じゃないでしょう?」
そう言って私を見つめる。
確かに。
知らない男が入った部屋だ。すぐには恐怖が消えない。
私は涙で乾燥した顔を頷かせた。
「それなら俺の部屋が」
「あなたの部屋に女の子がすぐ寝泊まり出来る準備はあるの?」
「う......」
お兄ちゃんの申し出は志帆さんによってすぐに立ち消えた。
本来なら実の兄を頼るべきなのだろうけど、志帆さんの申し出はありがたかった。
どうにも、身内でも男の人というだけで未だに身体が緊張してしまうようで今も落ち着かない。
「唯ちゃん、今日は仕事休みにしとくから」
「え?」
私は真鍋さんに瞠目した。
明日は普通にシフトが入っている。
色々あって仕事のことが頭から抜けていたけれど、私が休むということはその分、スタッフにしわ寄せがいくということだ。
平日とはいえ、セールの真っ只中。疲れがみんな溜まる頃なのに......しかも、山本さんが休んだ時に他の店からヘルプを出してもらった。これ以上他店に迷惑をかけるわけには……。
私の顔色から思考を読み取ったのか、真鍋さんが優しく口元に笑みを刻んだ。
「こんな状態で出勤も大変だろ。京都と明日は休みにしとく。店のメンバーはどうにかなるから」
「で、でも......」
「これは上司としての判断だから。部下の状態が悪いのに駆り出すようなことはうちの会社はしない。俺もしないしね」
そう言った口調は先ほどの幼い子供を諫めるようなものではなくて、上司としての部下を叱声する色が含まれていた。
「これは上司命令だから。今はちゃんと休みなさい」
「......はい。すみません」
これ以上は駄々を捏ねる子供みたいな感覚がして私は静かに頭を下げた。
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