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森の家
そいつは風を通り抜けるように飛んだ。着ていたシャツがはためいて、しっかりと掴まっていないと振り落とされてしまいそうだ。だから必死で掴んでいた。
空は青く、雲までだって手が届きそうだ。風は森の香りを運ぶ。頬をかすめ、耳をかすめて、髪を揺らして行く。
大きな翼が風を切り、気流にのると羽ばたかなくても上昇した。そして今度は滑るように降下していく。森が近づいている。どこまでも深い緑。木々がやけに大きく見える。
着地する場所が見当たらない。考えて飛んでいるのだろうか。このままでは木々に激突するしかなさそうだ。予想通り、次の瞬間には大きな音が辺りに響いた。
その音は、風が窓を叩く音だった。驚いて目を開けると、目の端にはレースのカーテン越しに窓が不機嫌そうに音を立てていた。
ーー夢か。
風の匂いも、空を飛ぶ心地も、あの景色さえも感覚としてまだ残っているのに。そんな事を考えていると、荒々しい風が吹きはじめて嵐を連れてきた。唸る風が木々のざわめきを大きくする。
肌触りのよい布にくるまれて、外の嵐とは反対にとても穏やかな気持ちだった。それは、懐かしい匂いがするからだ。夢の中でもこの匂いに包まれていた。
半分寝ぼけながら大きく伸びをしようとした、その瞬間だった。左の腕に激痛が走る。危うく叫びそうになるのを、かろうじて飲み込む。
そしてやっと、今いる場所が見知らぬ場所だと気がついた。見慣れない天井を見上げ、こざっぱりとした部屋を見回す。ベットにサイドテーブル、一脚の椅子、あとは小さな鏡が壁にかけてあるだけだった。
左腕をかばうように起き上がると、包帯で丁寧に巻かれた腕をまじまじと見つめた。
「……何だこれ」
この傷に思い当たる出来事はなかった。思い出せるのは、あのドワーフ達に騙され喰われかけたこと。最後に見たあの少年が助けてくれたのだろう。この傷はその時のものだろうか。もしかしたら全てが夢だったのだろうか。
疑問が波のように押しよせてきたけれど、考えるだけ無駄だった。ベットの上にいるだけでは、何も分かるはずがない。ベットから降りようとした時、部屋の扉が前触れもなく開いた。
その扉を開けたのは、炎の中で最後に見たあの少年だった。きりりとした鋭い瞳で、12才から15才くらい。あの時はやはり見間違いだったのだろう。今目の前にいる少年の瞳は黄金ではなく深緑色だった。
「目が覚めたのか。少し待っていろ」
表情一つ変えずに少年は命令口調でそう言うと、開けた扉をまた閉めた。まるで夢の続きを見ているような感覚だった。
風はまた強くなったのか、窓を叩いては時折大きく殴りかかってくるようにぶつかってくる。
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