夜の声

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引っ越そう。 広い部屋や穏やかな環境は捨てがたいけど。 安眠できない家は嫌だ。 ベッドに座り込んでいた俺は、名残惜しい気持ちで室内を見回した。 白い壁も、ナチュラルブラウンのフローリングも、部屋に合わせて買ったばかりの黒いデザイン家具も。 すべてがまだ希望に満ちているのに。 俺の名前は新見慎(にいみしん)。 大学入学を機会に、一人暮らしを始めたのは二週間前の事。 五人兄弟の三男として育った俺は、個室というものを与えられたことはなく、自分の城というものに強い憧れを抱いていた。 高校生活三年間、恋愛や部活動といった青春生活をすべて諦め、バイトに明け暮れたのは一人暮らしをしたいという一念のもと。 新築だとか、駅から徒歩数分とか、そういったことにこだわりはない。 絶対に妥協できない希望は広さと環境だけだった。 できればキッチン、ダイニング、リビングはそれぞれ独立していた方がいいけど、ワンルームでもある程度の広さがあれば別にかまわないし。 そう不動産に伝えると、紹介されたのは月家賃十万近いものばかり。 初期費用は余裕を持って準備してある。 しかし家賃が十万超えるのは、先を考えるとかなり厳しい。 そこで古くてもいいから、静かで、できれば町中から外れた物件がないか調べてもらった。 結果、紹介してもらったのが今住んでいるここ、かげやまコーポ。 間取りは2DKでトイレ、バス別。 ダイニングキッチンは二畳半ほどだが、六畳の洋間が二部屋ある。 半年前にリノベーションしたばかりということで、築四十年近い物件ではあったが、ほんのりと木の香りが漂う室内は、外観さえ気にしなければ新築マンションのようであった。
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