氷鬼とビビリ

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その小説家の彼は幼い頃から全ての分野に優秀で、中学では特に、有望だと謳われた野球部のエースだった。 そんな彼は高校に上がる前に不慮の事故に遭ってしまう。 俊足と言われた足も、切り落とさなければ危ないと両足とも失い、二度と野球の世界へ戻って来ることはなかった。 誰もが、彼の才能を惜しんだ。 けれどそんな当の本人は、野球が出来なくなったことをさほど気にして居らず、寧ろホッとしたような様子だったのを覚えていると、彼の友人だった者は言った。 彼にとって、野球はそこまで重要じゃなかったのだ。 そして彼は意外にも、もう一つの特技で新たな才能を開花させることとなる。 それが小説だった。 野球と小説、ギャップが激しすぎるジャンルの乗り換えに、周りは心底驚いた。 母親も、もしかしたら野球が出来なくなって無理をしているのでは、と”見えるような態度”をしていた。 けれど彼は知っていたのだ。彼をそうやって心配する振りをして、本当は”自慢の息子が金にならないことを始めてしまった”と憂うだけだったのを。 そう、母親からは、常にいい子でなければならないと無言の圧力を受けていた。 彼は、昔から口数が多い人物ではなかった。 友人達とはまあまあ会話を交わしていたが、彼自身から話を振ることはなく。 それが、脚を失くし母親から更に心配というなのプレッシャーを受けるうちに、彼は殻に閉じ篭るように以前にも増して話さなくなり、誰も近寄らせないように瞳は鋭さを含んでいった。 小説家になる頃には、彼の瞳は氷を思わせる冷ややかさが映っていた。 性格に難はあれど、彼の作品の出来は最高だった。 高校二年生の頃に初めて出版社に持ち込みした際、直ぐに採用されるほどだ。 彼は才能に溢れていた。 だからと言って彼がその才能に胡座をかくことはなく、彼は日々良い作品を目指した。 彼は何かに真っ直ぐに取り組む時間が好きだった。
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