氷鬼とビビリ

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そんな彼の作品に憧れ、不自由な身体を持つ彼の世話役と小説の手伝いを買って出た者は少なくない。 中には彼の書く文章のインスピレーションはどこから来ているのだろうか探ろうと彼の生活を見つめ続ける者も居た。 けれど、彼は誰にも頼らなかったし、仲良くなろうともしなかった。 一人で何でもやろうとして、その度に何度も怪我をしそうになったにも関わらず、彼は決して誰の手も借りようとしなかった。 だから自分が居ない存在のように扱われる居心地の悪い空間に、人は次第に近付かなくなっていく。 けれど、会社としてはその不自由な身体を放っておくのも気が引けた。 そうしてこれで最後とばかりに送り込まれたのが彼ーーー ーーー相模幸裕だった。 「よ…よし」 息を飲み、心臓の音を落ち着けようと深呼吸した後に、気休めだが人の字を手の平に書いて飲み込む。 相模の口の中はカラカラだった。夏のせいだけではない。 心臓を忙しなくばたつかせながらも、意を決して屋敷に一歩踏み出し、門を潜って屋敷内に入ると、情けなく声を裏返しながら挨拶する。 「す、すみません…!!…、…あ…」 しかし、懸命に絞り出した声も、眼前に広がる景色をその瞳に映せば掻き消えてしまった。 屋敷の中は、美しい花や立派な木が、溢れんばかりに咲き乱れていたのだ。 赤や黄、桃や青の色を持つ花々。色とりどりのその色が、所狭しと鮮やかにきらめいていた。 「わあ…綺麗…!!」 そんなキラキラした風景に一瞬圧倒された相模は、思わず感嘆の声を漏らし見入っていた。 さっき怖かったことも忘れて目を輝かせている中、相模は漸く気付く。 縁側にポツリと佇み、こちらを凄い形相で睨みつけている、黒髪で深い蒼の甚平に身を包んだ男の存在に。 次の瞬間、相模は先程までの緊張と恐怖を思い出し、カチンコチン、と氷のように固まってしまっていた。 「あっあああうああの…!!ぼ、ぼぼぼく、きょうからおせわになるさがみひろゆきともうしましゅ…っ」 緊張のあまり、小学生のような拙さで噛みながら自己紹介をしつつ、バッと頭を下げる相模。 そんな相模に冷ややかな視線を送った彼は、ふと視線を玄関へ向けると、不自由な下半身を引き摺りながら屋内へと消えてしまった。
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