その男、裏切り者につき

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「ごめんってば。そんなに怒らないでよ」 僕は前を行く朝比奈を宥めながらついていく。 結局、バカ笑いした僕に朝比奈が気づくことになり、喧嘩を覗き見していたこともバレて。 朝比奈は彼女にビンタされた上に同僚に目撃されたことでさらに不機嫌になった。 「そもそもさぁ、正直すぎるんだよ」 普通、思ってても言うか?いや言わない。 他の人間とはちょっと違うとは思っていたけど、こいつ面白すぎる。 あの光景がツボに嵌まってしまって僕はまた吹き出してしまいそうになったけど、我慢。 じゃないと、朝比奈がもっと臍を曲げてしまう。 「あそこは嘘でも『お前に決まってるだろ』と言うのが優しさだよ」 僕の言葉に先を歩いていた朝比奈が慌てた様子で振り返った。 「いや、あれは『今は仕事が外せないが、お前も大切だ』と言おうとして」 「そうなの?伝わる前に叩かれちゃったね。残念。」 「......仕事に戻る」 またあの無愛想な顔に戻る。 いや、これはしょげているのか。 僕はいつもより威勢がない背中から横へと目を移す。 道路脇に設置された自動販売機。 ふと、思い立って僕は財布から小銭を出すと缶コーヒーを買った。 「朝比奈」 僕の声に朝比奈が足を止めて振り返る。 僕は手に持っていたコーヒーを投げた。 放物線を描いたそれは朝比奈目掛けて飛んでいき、難なくあいつの手にキャッチされる。 「それで頬冷やしときなよ。手形が残ってたら会社での噂話の元なんだから」 僕の言葉に朝比奈が目を丸くする。 だけど、すぐふっと笑みを溢した。 「悪い」 そう言う朝比奈は同年代の男でいつもの威圧感なんて皆無だ。 なんだ、そんな顔もできるのか。 今度は僕が目を丸くする番だったけど、すぐに同じように笑みが浮かんできた。 「君は面食いなんだな。そして、女運がないと見た」 「うるさい」 ムッと眉をひそめる姿に破顔してしまう。 だって、バツが悪いだけで本気で怒っているわけではないとわかっていたから。 それから会社に戻る朝比奈とは反対方向に僕は歩き出した。 あれだけ刺すような冷えた冬の空気が、笑いまくったからか僕には今はひんやりして気持ちいいくらいだった。
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