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「紗江は僕と別れてその男と一緒になりたいらしいんだ」
僕は淡々とそう言うと、目の前の離婚届を朝比奈のほうへスライドさせた。
「君には申し訳ないけど証人欄に書いてくれるかな?昔、僕も書いてあげたからおあいこでしょ」
「いいのか?」
静かにそれまで耳を傾けていた朝比奈が離婚届から顔を上げた。
僕をまっすぐ見据える。
その視線の強さに胸がドンッと叩かれたようだった。
「このまま向こうのいいなりで」
「それは……」
「一度痛い目見せてやれよ」
奴の切れるほどの眼差しに僕は言葉が詰まる。
息苦しさを感じるその双眸を受け止めきれずに視線を横に流しかけた時、
「と、言ってもらったことがあるよな」
ふっと朝比奈の真顔が緩んだ。
そうだった。
僕はあの時、過去の自分と朝比奈を重ねて、憤って、自分勝手に何か復讐しろと焚きつけた。
「あの時、正直驚いた。お前はいつも飄々として、誰にも心を許さず、核心には触れさせないタイプだと思っていたから、他人のことに熱くなるなんて意外だった」
「朝比奈……」
「だから、あの時の言葉は有難かった。俺の憤りを理解できる人間がいることに鬱々としていた心境が少しだけ晴れた気がした」
朝比奈はイスの背もたれに自分の身を預けて過去を振り返る。
その顔がとても優しく、少しだけ切なさを含んでいて。
僕と目が合うとおかしそうに笑った。
「俺とお前は正反対だと思っていたのに、変なところで似かよるもんだな」
その言葉に一瞬胸がいっぱいになってしまった。
なぜか涙腺が熱を持ち始めて、慌てて下を向く。
なんだ、これ。
本当に僕らしくない。
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