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「だって、琴音は大きくなっていずれお嫁に行っちゃうだろうし。私と雪弥さんどっちか先に死ぬんですから」
それは、そうだが……。
事実、そうなる可能性は高いけど、冷静に言われると閉口してしまう。
眉を顰めて黙る俺の肩に真琴は顔を載せて「ねぇ、雪弥さん」と呼んだ。
「もし、私が先に逝ってしまっても、ちゃんと生きてくださいね」
「おい」
「もしもの話です。ちゃんと聞いて」
何を縁起でもないことを言い出すのかと言おうとした俺を優しい声音で遮る。
「私が先に逝っても、雪弥さんにはもう琴音っていう家族がいるんだから。琴音を悲しませないためにもちゃんと生きて、琴音のこと守ってあげてね」
琴音の小さな手を指で擦りながら言う真琴。
その顔は慈愛に満ちていて、穏やかで、そして息を呑むほど美しかった。
母になるとはこれほどまでに強く、優しくなれるのかと思うほど。
真琴が言いたいことはわかっている。
俺の執着心が真琴を失った時にどう暴走するか案じているのだ。
人生、いつ何が起こるかはわからない。
絶対にそれがやってこないとは言い切れないのだから。
もし俺が残された時は真琴の言う通り、琴音のために生きなければならない。
それが父としての務めだ。
家族を持つということは誰かのために生きるということでもある。
それはわかってはいるが。
「年からして俺のほうが先に死ぬ」
沈黙の後、それだけ呟いた。
やっぱり、真琴に先に逝かれるのは俺が持たない。
そうあって欲しくはないという願いとともに言葉を吐いた。
真琴は俺の正論に不服そうに唇を突き出す。
「そうかもしれないけど、やっぱりだめ。雪弥さんには長生きしてほしいし」
「それはお前にもだ」
「じゃあ二人で長生きしないとね」
えへへと笑って俺に抱きついてくる彼女からは甘くて、温かな日だまりの匂いがする。
その温もりを一層強く感じたくて、腕に力を込めた。
願わくば一秒でも長くこの幸せが続きますように。
死が二人を別つ、その時まで。
*END*
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