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時は近世。
19世紀アメリカ南部、ひとつ星とも呼ばれる州――テキサス。
近代化が急速に進む北部とは違い、改革の狭間に取り残されたのどかな南部オースティン地方。
綿花プランテーション農業が盛んなこの地域は農園がそこかしこで広がりを見せている。青々と揺れる低木の花が淡い萌黄色を咲かせる――8月。
翌月ともなれば大規模な収穫が昼夜通して行われる。
中心部を流れるコロラド川を横切る橋があった。
コングレスアベニューと呼ばれる大型のアーチ橋には日暮れ時、ある現象が起こることで知られている。
広大な地平線に繁る青草の匂いが風に煽られていく。
宵の寒気を忍び込ませる赤光の空に、一羽の蝙蝠の姿があった。生温さが羽を撫でる度に円らな瞳を気持ち良さそうに細める『彼』は、目的地をひたすら目指し、滑空していた。
赤が青へ、夕が夜へと変化を遂げる中、ようやく蝙蝠は終点である橋下へ到達した。
支えの足場へと降り立つ影は、細枝のような蝙蝠の肢ではなく、人のもの。
黒に近いダークパープルの燕尾スーツの尾影が足場に映る。内に着込んだカッターシャツの白さと襟首の境は遜色がない。青ざめた素肌は彼が人外のものであるからだろう。
日暮れの桟下、鈍い赤を照り返す川の水面に、彼の姿は映らない。
夕陽に染まる白銀の髪が夜の気配にざわりと揺れた。
「こんな辺鄙(へんぴ)な所にしもべが棲みついているという噂は本当だった……にわかに信じられなかったのだが――」
アーチ橋の真下に蠢く無数の影が一斉に高周波を放つ。
轟音が橋架全体を揺さぶった。黒い魔物達が一斉に翼を広げ、飛び立っていく。
クラウスを取り囲むように描かれるスパイラルの軌道。蝙蝠らは羽音を高く誇らしげに響かせ、口々に叫ぶ。
「アルジ! アルジ!!」
クラウスの髪が、吹き荒れる風柱のつむじ風に逆立つ。上方へとはばたかせ、次から次へと飛び立っていく翼手目(よくしゅもく)、メキシコオヒキコウモリの群れ。
おびただしい量の黒点に藍の瞳を細めたクラウスはふと、何者かの存在を感知した。
風がぴたりと止んだ。
蝙蝠達が一斉に飛び立った後の桟下に静寂が訪れる。
向かいの足場に無造作に置かれていた白地の布がかさりと音を立てた。
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