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「この匂い……なぜ人間がこんな場所に――」
白地のぼろ布が小刻みに揺れる。布の隙間から鮮やかな赤茶の髪と揃いの瞳、黄色の肌を晒した小柄な少年の姿がちょこんと顔を出した。彼はクラウスの姿を目にするや否や、すぐにも恐怖で顔をひきつらせた。
「私を連れ戻しに来たの……!?
こ、来ないで!」
「……?」
「もうあんな所には戻りたくないっ、殺さないで! 見逃して……!」
一枚のぼろ布で頭から下をすっぽりと覆うその少年はそう言って固い石の足場に必死に額を擦り付ける。
「大丈夫、そんなことはしない」
いたたまれなさと追い付かない理解に一つ息をついたクラウスがそう発し、手を差しのべた。
だが、脅える少年は差し出される手を前に大きな茶の瞳を固くつぶり、身体を硬直させた。
「……参ったな、そうまで脅えられると流石の僕も傷付くのだが」
「! だ、だって…あなたは白人……!
“ 色付き ”を支配する人間」
「なるほど、この国ではそういう風潮が出回っているわけか。
僕は移民で入植してから日が浅い。ここに来たのも今日が初めてだ」
その時、クラウスは何を思ったかその者に興味が湧いた。
心を動かされた訳でもなければ、危害を加えようと思った訳でもない。
ただ何となく、身体が動いていた。
膝を折り、赤が消えた濃闇の水面に右手を浸す。
波紋が描かれた水面から醜悪な臭いと白煙が立ち上ぼり、大気を汚していく。
「…………!」
少年は息をハッと飲んだ。
水を滴らせるクラウスの右拳は重度の火傷のように酷く、爛れた肉からは爛々と悪臭が立ち上った。
瞳を大きく見開いたまま青ざめる少年に向かい、再度クラウスは左手を差し伸べた。
「……何も迫害されるのは君のような者ばかりではないんだ。
僕はクラウス=フォン=ヘルトリング伯爵。
つい先日、ドイツからの移民として西のニューブローンフィルズに移住したばかりの……
――吸血鬼だ」
皮膚がせり上がり、ボコボコと泡立たせながら再生されていく様を目にした少年は次にクラウスの藍の瞳をじっと見上げた。
「さて、これで僕達は揃って迫害される者同士というわけだな」
完全なる闇に佇むクラウスの銀が顔を出した月の魔力に光る。
白蝋のような肌と整った芸術品の肢体。あまりにも美しすぎた。口許に光る牙が見えたことに少年は気付くも、その藍の瞳はどこか物寂しさと儚さを思わせた。
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