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☆☆☆
「おーい、マルクス」
低い水位であっても、まだ幼き日のマルクスは腰まわりまで服が水にぬれていた。
遠くから元気そうに歩み寄ってくるのはアルベルト。少年時代ならではの無垢な笑みで、背景の夕日と同じぐらいの輝きをマルクスは錯覚していた。
「何してんだよ。こんな遅くまで川遊びなんてよ」
「……しちゃった」
「あん?」
「アルベルトからもらったおみやげの指輪、落としちゃった」
あーはいはい、と深く首を振るアルベルトをよそにマルクスは指輪探しを再開した。砂漠の中のダイアモンドというように、川の中の指輪。探し当てるのは至難の業であることをこの時から二人はわかっていた。
わかっていても、わずかな可能性に賭けるのもまた少年であるが故の純粋さかもしれない。
「気にするなよ。そんなの」
「だめ」
「いいんだよ、指輪くらい。それより帰ろうぜ。おなかすいてるだろ」
「だめ」
「……Ikke en grel」
力で勝るアルベルトに腕を引っ張られ、未練がましく遠ざかる水面を見続けるマルクス。しかし、結局はあきらめをつけて、アルベルトの腕を振り払って横に並ぶ。ソグネフィヨルドの夕日は7割がた沈み、川はオレンジ色に染まっていた。
「俺がおそろいで買ってきたやつをやるよ」
「それが一番ダメ」
その夜だった。
マルクスの共鳴、回転灯の明滅、女性の声。
彼が右手を失った夜は、神との対話で蝕まれた藍色のドレスだった。
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