2人が本棚に入れています
本棚に追加
「智(とも)、今日バイトは?」
「やめた。」
2時限目が始める5分前。
次の講義がある教室へ向かう途中の廊下で、
ゆかりの質問に一瞬の間もあけることなく答えた。
「は?なんで?
あんなに気に入ってたじゃん。
パートさんたちもいい人たちだって言ってたし。」
表情一つ変えずに答える私に驚いたらしく、
声量も声のトーンも上がるゆかり。
マンガみたいな驚き方してますよ、ゆかりさん。
「確かに、パートさんはいい人たちだったんだけどね。」
笑いをこらえながら答える私を見て、
ゆかりの眉間にしわが寄る。
自分が面白い顔してること、気づいてないんだろうな~。
「じゃあ、新しいバイト探すの?」
「そうだね。
親に仕送りなんてしてもらえないし、
貯金もそんなにないからなぁ。」
次の教室があと5メートルほど先に見えてきたとき、
私たちのすぐ前を歩いていた男が立ち止まり、
後ろを振り返る。
「じゃあ、あの、、、
もし良かったら、ウチで働きませんか?」
それはあまりに突然だった。
「・・・・・はい?」
「あ、正しくは、
俺が住んでる下宿先で、なんですけど。」
やっと絞り出した声に、
すべてが凝縮されていた。
私たちの話に聞き耳を立てていたなんて、
変態かこいつは。
いや、ゆかりがあれだけ大きい声を出していたから、
聞こえるのは無理もないか。
にしても、面識もない赤の他人に
いきなり声をかけるなんて。
そうだよ、それ以前に、あなたは誰?
「やばい、時間ない。詳しい話はあとで。」
そう言って走り去っていく男の後ろ姿を、
ただ呆然と見つめていた。
私たちの教室の手前で、
A棟とB棟をつなぐ廊下を曲がっていったので、
私たちと同じ学年ではないらしい。
次の講義は、文学部2年生の必修科目だから。
「何あれ、知り合い?」
「いや、知らない。」
勢いに圧倒され、
何だか嵐が通り過ぎていったような感覚だった。
2人ともそこから動けないままでいると、
2時限目開始の知らせが鳴る。
「あー、いつもの場所空いてないかもしれない。」
聞き慣れた音で我に返ると、足早に教室へ向かった。
最初のコメントを投稿しよう!