第1章

6/44
前へ
/45ページ
次へ
彼が住む下宿先は、 電車で2つ目の駅で降りて、 南へ少し歩いたところにあるらしい。 その電車で2つ目の駅というのが、 私のアパートからの最寄り駅だった。 「そうなんすか?じゃあ通うのは問題なさそうですね。」 彼は、人と話すのが苦手なんだろうか。 そうは見えないけど。 気まずい雰囲気でもないし、仏頂面なわけでもない。 むしろ、笑顔だ。 笑顔なんだけど、どこかぎこちない。 「あ、もうすぐですね。」 窓の外を見て、彼が小さく呟いた。 あぁ、そうか。緊張してるんだ。 それが隣の私にも伝わってきているのか、 あまり口を開けない。 そうこうしているうちに駅に着いて、 彼は改札を出て左に曲がる。 ここまでは普段と一緒だが、 駅を出て最初に見える横断歩道を渡らずに、 左に曲がる。 私のアパートは、 この横断歩道を渡って右に曲がり、 ひたすらまっすぐ5分ほど歩いた場所にある。 こっちの方は、 スーパーやコンビニなどはほとんど見当たらない住宅街で、 ここに越してきてから一度も来たことがない。 湿気が多いのか、今日の空気はジメジメしている。 まとわりつく汗をタオルで拭いながら、 少し前を歩く彼についていく。 もちろん、会話はない。 「暑いですね。」と、 世間話にもならない言葉は交わしたけれど。 見たことない景色がずっと続いていて、 迷路に迷い込んでしまったような気さえしてくる。 同じような建物に飽きてしまって、 彼の足下を見ながら歩いていると、 急に彼の歩調が早くなる。 「見えてきた!あそこです。」 何となく下宿と聞くと思い浮かぶのは、 祖父母が住んでいたような田舎の、 和風というか、これぞ日本!みたいな家だったのだけれど。 「で、でかっ。」 予想とはまったくの別物に、自然と大きな声が出る。 彼が指さす先には、 豪邸といっても過言ではないほど、大きな家。 いや、これを豪邸というのか? 自然と足が止まる。 開いた口もふさがらない。 家を囲んでいる少し高い塀を見る限り、 その敷地自体が広いらしい。 一体、どんな金持ちが住んでいるんだろう。 そもそも、こんなところでバイトって何が……。 もしかして、メイドとかそういう類?
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加