第1章

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     第三章      1 庭の隅で幼くなってふるえていた。 さっきまで、そばには姉がいたはずなのにと 不安で涙が出た。 庭はたしかに、自分が幼いころをすごした場所だ。 規模は小さいが、日本庭園があったはずだった。 小さな滝があり、池があり、鯉が泳ぐ。 その光景は玲子さんの撮った写真となる。 寂しげなスナップに紛れ込む。 なぜ、僕は震えているのだろう。 ああ、あの日は寒かった。 父のどなり声も恐ろしかった。 雪が降り出しそうな、正月。 家の中では親戚たちが集まっていて、 賑やかに宴会が始まっていた。 叱られたのは、姉の方だった。 理由は覚えていない。 怒鳴られ、いつもなら黙って耐える姉だったが、 そのときばかりは庭に駆け出した。 僕も同じように、あわててついていく。 母は台所へ行っていて、 そんなときに僕の世話をするのは姉だった。 だから、彼女についていくのは、自然だった。 けれど、ひとまわりも歳が離れた彼女に追いつけるはずもなく、 門まで行って、諦めた。 僕にとって、門から先は未知の世界だ。 おそろしい怪物が出るかもしれない、場所。 道の左右、どこまで見渡しても、姉の姿はなかった。 あのころの僕にとっては、とてつもなく長く感じた、 底冷えのするアスファルト。 街灯の届かない暗闇の向こうへ、姉は消えてしまった。 怪物に食われてしまったのかも、しれない。 姉のことはずっと、忘れていたのは、 あのとき、怪物に食われてしまったのだと、 思いこんだせいだ。 そうだ。僕には、姉がいたのだ。 泣きつかれた僕は母屋に帰ろうと、 迷路のような庭を歩いた。 親しい場所。 これは長塚家の庭だ。 先生が撮ったなんでもない写真と同じ風景に 玲子さんの気配は どこにも、ない。 先生だけの世界。 誰も、入ることのない場所。 あのカラーも、まぎれもない先生の芸術写真だ。 僕にはそれが、わかる。 やがてそれは、玲子さんが撮った写真にかわり、 さびしげな、ただの日常のスナップとなる。 彼女の撮った写真は、長塚先生を探す視点だ。 何処……了一、何処……。 ちいさな子供が親を追うみたいにして、 人気のない庭を、さまよう。 孤独の意味が、先生とは、まるで違うのだ。 大きな楠が、長塚先生の狭い庭に あるはずはなかった。 だけどそれは、目の前に立ちふさがり、 玲子さんが、ぶらさがっていた。
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