第1章

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「生きてるよ」 だが、彼の言いよどむ様子に、 あまり、よい状態ではないことが知れた。 それでも詳しく聞こうとすると 「外はすごいことになってる」 と藤井さんが、唇をゆがめて言った。 「すごい?」 「言っただろ。世間は下世話なネタを求めてるってさ。 お前と玲子さんの愛憎劇の、真相は!? だってさ」 「退院したら、俺のスタジオに隠れてろ」 と、槇さんも言った。 「玲子さんは」 「ああ、どのみち、しばらくは病院だ」 「状態は」 「槇さんが言ったろ。生きてる。そのかわり」 答えようとした藤井さんを、槇さんは制そうとした。 「大丈夫ですよ、僕は」 「どのみち、わかることですよ。 生きてるけど、まだ、意識が戻っていない」      2 病室にはテレビがないが、 外の騒がしさは見てとれる。 初日の夜は照明が煌々と照らされていたが、 二日目からは、なくなった。 周辺からのクレームがついたのだろう。 「すげえな」 ひとり残った藤井さんが、 窓の外を見ながら、 ときどきなにが起こっているのか実況する。 「向かいのビル、光ったな。 あそこから望遠レンズか」などと。 玲子さんは水谷昌の秘蔵っ子として、 伝説の女優だったのだ。 引退してからは聞くことのなかった名前が、 こうしてスキャンダルとして復活してきた好機を、 マスコミが逃すはずもない。 長塚先生のネームバリューよりも、 たぶん、大きい。 先生は芸術の領域では名が知れていても、 まだ、一般では無名と言っていいのかもしれない。 「ほら、見ろよ、レポーター。 あれ、よく2時からの番組に出るおばちゃんじゃね?」 「もう、行きますよ」 「なんだよ、もう準備したのか」 退院の準備といっても、 藤井さんが適当に用意してくれた、 タオル数枚と、下着くらいだ。 退院したときのためにと、買っておいてもらった ユニクロのTシャツとジーパンは、だぶついた。 たった数日の入院なのに、痩せたようだった。 それに、皮膚の色に血の気がない。 運ばれてきたときに着ていた服は、捨てた。 血まみれで、着られるものではなかった。 なんだかんだと言いながら、藤井さんは 僕の世話をする。 いわく、「暇だから」。 あるいは「惚れた弱み」。 「嫌いなんじゃ、なかったですか」 そう言うと、 「嫌よ嫌よも好きのうちって、聞いたことあるだろ」 と、はぐらかす。 どこまで本気かわからないのは、 いつも通りだ。
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