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マスコミに気付かれないように
直接、駐車場に降りて、
そこから槇さんのスタジオに行く予定にしていた。
僕の顔など誰も知らないはずなのだが、
どこから入手したのか、高校時代の集合写真が
テレビで映し出されているようだった。
「おまえ、いいガッコ出てんなあ」
藤井さんは逐一、ワイドショーで報道された
僕の情報を報告する。
「母ちゃん、美人だな。お前にちょい、似てる」
「なに、従兄、Jリーガーなの?」
そういうデータが知らされるたび、驚く。
自分が知らないことのほうが、多かった。
病室から出るとき、
藤井さんに頼んでいたことがある。
そのまま駐車場へ行かずに、
上の特別室へ行く。
玲子さんの病室は十六階だ。
意識は戻ったと、聴いた。
だが、面会は許されていない。
そばには、森脇さんだけ、ついているようだ。
扉の前に行くだけ。
そう思って、ナースセンターを横切るとき
視線を感じた。
森脇さんが、ペットボトルを持って立っていた。
「退院ですか」
「はい」
その淡々とした話し方がかえって、恐ろしかった。
お前は退院して、
玲子さんだけが残るのか。
もちろん、森脇さんはそんなことを
言うひとではないけれど。
彼は長塚先生の高校の同級生で、
事務所のことをするようになったのは、
僕がアシスタントをはじめてからのちだ。
自動車メーカーの秘書室で長く勤めたと、きいた。
フレームの細い眼鏡をかけた、役所勤め風の堅い雰囲気だが、
いつも穏やかな印象がある。
「面会はまだ、できません」
「はい。扉の前に行くだけですから」
「そうですか」
歓迎されていないのは、仕方がない。
僕が玲子さんの自殺を促したようなものだ。
もちろん、その経緯は知らないにしても、
僕がいたのはたしかだし、
その当人も血を流して倒れていた。
心中。
それ以外には考えられない
シチュエーション。
彼には、すべて、みられている。
僕と玲子さんの情事のあとも。
申し訳なさと、恥ずかしさに
彼の顔をまともに見ることが、できない。
僕は玲子さんの部屋の扉を確認しただけで、
「すみません」と、彼に頭を下げた。
そして、エレベータのボタンを押した。
待つ間、森脇さんの視線が突き刺さるようだ。
あのなかで、玲子さんが生きている。
それだけわかれば、もう、充分だ。
エレベータが閉まる前に、ふいに槇さんの
「お礼を言っておけ」という言葉を思い出した。
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