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天正十三年(1585)、元旦。
下野国、唐沢山城で大名をしているある男が、史上稀に見る戦いを始めようとしていた。
男の名前は佐野宗綱。弱冠二十六歳でありながら佐野家の当主を務め、北関東でその名を轟かせる戦国武将である。
冬の真っただ中、さらに明け方と言う事もあり、唐沢山城は肌を刺すような寒さであった。そんな城内を、多くの兵士たちが白い息を吐きながら慌ただしく動いている。
城の本丸に設けられた座所では、宗綱が甲冑を着込み床几に座っていた。前に居並ぶ重臣達も同じように甲冑を着て、同じように座っている。
実はこの男、元旦だと言うのに新年を祝う事もせず、戦を起こそうとしているのである。
宗綱の顔は戦を起こす前の独特の昂揚感に溢れていた。頬は薄紅色になり目はぎらぎらと輝いて、その様子はさながら獲物を探して彷徨う餓狼である。
「殿。出陣の準備、全て整いましてございます」
近習の富士源太が座所に入って来るなりそう告げた。宗綱も床几を蹴って立ち上がり、自信に満ちた声で左右の者達に命じる。
「よし、では行くぞ。馬を引けい!」
やがて源太が、立派な馬体をした黒い毛並みの馬を引いて来た。漆黒の毛が、薄暗い中でも滑らかに艶めいている。この黒駒は以前に宗綱が大枚を叩いて買った駿馬で、宗綱は「下野一の名馬である」と常日頃から豪語していた。
馬が引いて来られるなり、宗綱はひらりと鞍に舞い上がり馬上の人となる。本丸から三の丸に移動すると、そこには既に数百の騎馬、徒士が厳めしい顔をして待機していた。
兵士たちの準備万端と言った様子に、宗綱は一つ頷いて満足そうな顔をすると、開け放たれた大手門から見渡せる下野の山々を眺めた。稜線から顔を出したばかりの初日の出が宗綱の目にはとても眩しく見えた。
「足利の方でも、よもや年明け早々に我らが攻めて来るとは思うまい」
目を細めながら、宗綱が小さく呟く。
唐沢山城より数里離れた足利城は、長尾顕長と言う男が城主を務めていた。そして佐野家と長尾家は、先代からの宿敵同士であった。
両者は幾度と無く戦ってきたが、今までは互いに決定打を与えられずに小競り合いが続くばかり。宗綱は長尾家を一息に潰し足元を固めたいと考えていたのだが、なかなか止めを刺し切れなかった。
そこで元旦に奇襲を仕掛けると言う、大胆かつ古今東西ほぼ例を見ない戦術を思い付いたのである。
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