誤算

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 「ほう、何を申し上げると言うのだ?」  「殿は確かに知勇に優れたお方です。それはこの大貫越中も重々承知しております」  「ふん。で、あろうな。ワシは」  「ですが」  少し機嫌を直した宗綱が何か言おうとするのを遮り、越中守はハッキリと告げた。  「殿には足りない物があります」  「足りない物? 何だ、それは」  「それは――」  越中守は一度言葉を切り、宗綱の目をキッとねめつけた。  「――経験です。殿はまだお若いのに勝ち戦ばかりなさって、負けた事が無いのです。そして負け戦をご存じ無い故に、退き際もまたご存じありません。このままだといつか敵に足元をすくわれますぞ」  思い切った諫言であった。越中守としてはここで宗綱の怒りを買ってでも、この事を意見したいと考えたのだろう。  しかし、越中守の思いとは裏腹に、この言葉は宗綱には響かなかった。宗綱は長めの溜め息を一つ吐くと、苦虫を噛み潰したような顔をした。  「すると越中、お前はワシに負けろと申すのか?」  「め、滅相もございません! しかし、今回の出陣は余りにも軽率であると思われます。元日に兵を起こすのは縁起が悪く、古の楚の項王ですら忌避したほどです」  「縁起を気にして勝機を逃したのでは話になるまい。ワシは出るぞ」  「ですが万が一と言う事もあります」  「万が一にも億が一にも無い。長尾の者共は今頃、正月を祝って屠蘇でもあおっているであろう。そのような敵に、どうして負けると言うのだ?」  「ですが殿」  「もう良い!」  なおも食い下がろうとする越中守を宗綱は一喝した。だが、その怒鳴り声に反して宗綱の表情に怒っているような気色は無く、むしろ冷静そのものである。  「越中よ、臆したか。正直に申してみよ」  「この大貫越中、今さら戦に臆するなどと言う事がありましょうや。ですが元旦に戦をすると言うのは縁起が……」  「いいや、臆している。『縁起』などと言う不安定な物を持ち出し出陣を渋る時点で、お前は心の奥底では臆しているのだ。越中よ」 宗綱は憐憫を含んだ目で越中守を見た。  越中守は先代昌綱の時代より佐野家に仕え、今では齢五十近くになる歴戦の老将である。かつては『佐野四天王』の一人に数えられた猛将も、年老いてからは気も萎えてしまったのだろう。そう考えた宗綱は、急に越中守を哀れに感じたのである。
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