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初めて体を重ねたのはまだ十代の頃だった。
『そのロックグラス、素敵だね』
美術の授業中、独りでスケッチをしていた俺に先生は声をかけてきた。
先生は美術教師をしていた。あまり人との関わりを避けていた青年にとって、それは始め、嫌悪感に感じられた。
しかし、教師に話しかけられて無視出来るほど肝も座っていない。
だから、スケッチブックに視線を向けながら、聴こえるか聴こえないか位の小さな声で囁く。
気に入っているグラスなんです、と。
すると座っている青年の隣に先生が顔を近付ける気配がした。
『君が大人になったらこれで一緒にお酒を飲もうよ』
教師のクセに未成年に何を言ってるんだと思い、額に皺を寄せながら無意識に見上げた。
しかし次の瞬間、目を離せなくなった。
そう、青年は恋を知った。
言葉の抑揚とは反対に、寂しそうな表情を浮かべた横にいる人物に、一目惚れをしたのだ。
二人の距離が近付いたのはそれからすぐだった。
多分それは偶然で必然。
体を重ねた後先生は、よく窓辺に立ち夜空を見上げていた。
『月が綺麗だね』
毎回そう呟いて寂しそうに微笑んだ。
二人の暗黙のルール。
愛を語らない事。
首筋に口付け落としながら先生の左手に視線を走らせる。
薬指の存在に毎回嫉妬しながら。
そして、言葉の代わりに何度も口付けを交わした。
『また、ね』
タクシーに乗り込んだ先生は毎回、振り向く事も無く去って行く。
青年でなく、別人の、愛しい人が待つ所へと。
サヨナラを決して言わない先生。
それに大人のズルさを感じながらも受け入れている自分。
それでも、また会える約束の言葉が切なくなる胸に体温を与えていた。
しかし、それが、先生の最後の姿だった。
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