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野球部の掛け声と、ブラスバンドの音が耳の中を通り抜ける。その音のすき間を埋めるようなセミのジーッという鳴き声。
2年B組の教室には、それらの音と俺と中原。あと夕日が発する橙色の光。
じゃ、俺行くわ。と言おうとした瞬間だった。
「さ、笹山くん!!」
中原が椅子を引いて立ち上がり、こちらへ顔を向けた。
数歩先にいる俺の顔を見つめてくる二重の目には、チラチラと奇妙な光が灯っている。変に赤くなった頬。半開きになった口。
唇が、まるでバッタの足のように痙攣している。
「な、なんだよ」
奇妙な様子に少しうろたえてしまった。
中原がゆっくりと唾を飲み込んだ。
「君のことが好きなんだ」
セミのジーッという鳴き声が聞こえる。だけどその声は、さっきより歪んで聞こえた。
「はっ? 急にお前何言ってんだよ? 冗談かなんかか?」
「違うよ! 僕は本当に……」
正直混乱した。男は男を好きにならない。俺は男で、中原も男。
「悪いけど、俺部活あるから」
そう言って、この場から離れようとした。さっきの事をうやむやにしようとして。
「待って!!」
そう叫んだ中原が俺の右手を掴む。中原の汗ばんだ手のひらが右手を。濁った光が浮かぶ瞳をこちらに向けて。息を上げて。ジーッというセミの鳴き声。男の中原が、男の俺に、べっとり汗が滲んだ手のひらが俺の右手を掴んで。
「キモッ」
中原の手を振り払った。
しまった。そう思ったが、もう手遅れだ。
中原は目を大きく見開いたかと思うと、ゆっくりと視線を床へと下ろした。制服のすそを握る手。赤かった頬は急速に色を失っていった。
「……ごめん」
中原が言った。
俺は何も言えなかった。
体中の毛孔が開いて、粘っこい汗が溢れ出るのを感じた。心臓がゆっくりと、だがうるさいくらい大きく動く。
身体を流れているのは真っ赤な血液じゃなくて、汚くて黒いなにかのような気がした。
無理矢理に足を動かす。中原の顔は、見ない。俺は転びそうになりながら、教室から飛び出した。
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