思いやりの空砲

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    ◇ ◇ ◇ 「風呂出たから」  食器をスポンジで洗いながら母さんは、はーいと声を上げた。壁に掛かっている時計の針は10時すぎを示している。  父さんはきっと今日も飲み会。――姉ちゃんは。 「姉ちゃん、晩飯食ったの?」  母さんは少し寂しそうな表情を浮かべる。 「いらないって。やっぱり、まだ引きずってるみたい」 「そっか……」 「もしかしたら気が変わって食べるかもしれないから、声掛けてあげて」  うん、と小さな声で返す。廊下へと出て階段へと向かう。一段一段登るたびに、ひた、ひたと裸足の足が音を漏らす。床は少し冷たい。  階段を登りきり、正面には俺の部屋。姉ちゃんの部屋はその左隣。扉の前に立った。階段の光を受けて俺の影がドアノブに掛かっている。  ドアノブを右に回した瞬間、感じる抵抗力。鍵がかかっていた。  呼びかけようと思ったけれど、なんて言えばいいのか分からなかった。  ふっと、姉ちゃんの横顔が浮かんだ。嬉しそうなトーンで、幸せそうな目をして話していた。言葉一つ一つが、輝く光の粒みたいだった。  だけど、今は。  分からない。俺が姉ちゃんに言えることが何かなんて。  
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