【おくる犬】

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倒れこむ。雨で抜かるんだ土に埋まりそうな勢いで。 甲高い悲鳴が聴こえる。異様な絶叫だ。それに構わずに元春は近づいてくる。 「今になって当て付けのように冬美を掘り返しやがって。俺の弱みに付け込んで、脅すためにやったんだろ」 恐怖の余韻が逃げ道を塞ぐ。痙攣したように体が動かない。 頭がズキズキと痛む。 「お前も冬美も、自分らの幸せばかり見せつけてよぉ……人を蔑んで上から目線で見やがって」 夢の続きがここにある。 なぜ忘れていたのだろうか。あの日、今のように降りしきる雨の中、夏矢はその現場を見ていたと。 だが、己の記憶に残っているのは病院。 結果的に夏矢は逃げたのだろう。 どうして、そんな簡単な事が思いだせないのだろうか。 頭を打ったことは理由にならない。夏矢が無意識に思いだすのを避けていたせいだろう。 さらに元春はスコップを持ち上げている。次の瞬間、気の狂うような痛みが全身を突き抜けた。 腹部が嫌な音を立てた。雨ともつかない液体が生き物のように広がって行く。 「いや。元春、止めてよ」 「ああ、ここにも今日のことを見て聞いて記憶した目撃者がいたな……」 「来ないで!!」 僅かな抵抗か、傘を振り回す音がする。そして、水を弾き遠ざかる足音も。 何かが打ち砕かれる音を最後に静寂が舞い降りた。 「……千秋……?」 息だけが漏れた。声はもう音にならないようだ。 意識が霞んで行く。 こんな時に聞こえてきたのだ。 『くぅん』と、怯えたような鳴き声が。 いつ現れたのか。どうやら犬が贈り物をくれる金曜日は今のようだ。 虚ろな目を薄く開けば映る。 十三回目となる今日の贈り物が。 犬は包帯が巻かれた不自由そうな脚を動かし、ボールで遊ぶかのように物を蹴っていた。 泥で汚れているそれは壊れている。目がない。耳がない。 だが、口がある。 倒れた夏矢の唇にそれは触れていた。 人生最後の口づけは苦く土臭い。雨と共に流れ込んでくる痺れる未知の味が舌の上に残された。
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