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祖父は、大正6年生まれの長兄と、大正10年生まれの次兄、そして昭和に入って数年後に生まれた祖父の三人兄弟だった。
やがて太平洋戦争が始まり、昭和15年には長兄が歩兵連隊に、昭和17年には次兄が海兵団に…。
少年だった祖父の、当時多くの少年達が抱いたであろう“夢”を背負い、二人の兄はそれぞれ家を後にした。
しかし兄達は帰ることなく、長兄は25歳、次兄は22歳で逝ってしまった。
息子を立て続けに亡くした曾祖母は、それでも当時の“日本の母”そのままに、気丈に振る舞っていたことだろう。
そして祖父も、悲しみに耐えながらも、兄達の死を受け入れる努力をしていたのかもしれない。
あの時代の、多くの母親がそうであったように…
多くの兄弟達がそうであったように…
“戦死”と言う言葉で括るには悲しい現実を、受け入れようとしていただろう。
昭和20年1月に建立されたお墓には、二人の生まれた日、入隊した日や場所など、歴史が刻まれている。
『壮烈ナル戦死ヲ遂グ』
この現実を、少年時代の祖父は本当に受け入れられていたのだろうか?
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