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「1回の表、守備につきました入佐山高校。ピッチャー網川くん」
網川は大きく振りかぶって投球練習をはじめた。
「キャッチャー寺谷くん」
智理は自分の名前が告げられていることにも気がつかないようだ。彼の中では網川のボールを受けてみて、今日の調子を確認することに集中している。
「ストレートにキレがないなあ」
智理はそう感じたという。投球練習なのに、ベース前でワンバウンドするボールもある。リリースポイントがさだまっていない。緊張もあるだろう。しかし、短い時間に投球の組み立てを考えるのがキャッチャーの仕事である。
「ワンモアピッチ!」
主審がコールした。
「ボールバック」
智理は大きく声をかけた。そして投球練習最後の一球を捕球すると、素早く立ち上がってセカンドにボールを投げる。
「1回!元気だしていこう!」
大きく守備に声をかける。
サイレンが鳴り響き、いよいよ試合開始である。
初球は緩いカーブ。智理は初球に変化球を選んだ。網川自慢のストレートではない。この時、智理は守備の要のキャッチャーとして、組み立てを始めていた。野球をはじめて12年。智理は高校野球という最高の舞台で最後のプレー に望みはじめた。
智理は橘スピリッツに入団すると、ちょっとした、評判となった。一年生ながら、上級生に劣らないパフォーマンスをみせた。二年生に上がる頃には兄が舌をまくほどである。兄は六年生になったが、レギュラーメンバーに入ることができず、必死だった。
「弟に抜かれるぞ」
と、からかわれ、何度もぼやいていた。
この時の橘スピリッツは至誠を含めて六年生が15人もいて、グラウンドは活気に満ちていた。ところがである。よく見ると下級生がいないのだ。
五年生が一人、四年生二人、三年生がまた二人で二年生が二人。少年野球は夏で六年生がチームから離れるので、見た目とは裏腹にチームは存亡の危機である。次の監督を引き受ける事になっていた柱屋コーチは「あと三人」を求めて奔走していた。
そんなわけで、僕もチームの運営に関わる役員をさせてもらう事になった。四歳違いの、兄と弟が同じグラウンドで野球するのは、これが最後だろうという思いもあった。
若鷲杯という大会が迫ってきた。この大会は六年生を含まない五年生以下の選手が出場する交流試合である。
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