1回 野球をはじめた

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柱屋コーチは橘小学校の親という親に頭を下げて執念で「あと三人」を揃えた。 が、問題は守備である。  六年生がいない大会とはいえ、他のチームは当然のごとく五年生中心にチームを編成する。ところがうちのチームは五年生は一人しかいない。練習では、まだキャッチボールさえ、まともにできない選手がほとんどである。  一応、形として野球ができそうなのは、比較的はやくからチームにいた五年生の真平と四年生の大樹、春季、そして智理である。  監督を勤める柱屋コーチは、悩んだ末、まずピッチャーに大樹をショートに春季を、ファーストに真平を入れるオーダーを組んだ。智理はキャッチャーにはいった。ここまで、智理は外野の練習しか、していなかった。しかし、柱屋コーチはこう言った。  「アウトを取るための究極の選択だよ。外野にボールが飛んだら諦める。一番ボールの飛んで来やすいサード側は春季に任せる。あと、ファーストも鍵になる。春季と真平ならキャッチボールができるからな。一番センスのいい大樹はピッチャーしかない。こうなると、バッターが空振りしても捕球出来る壁は智理しかおらんな」  メンバーは大会規定ギリギリの十人。しかし、単独で出場出来る人数がいるのだから、他のチームとの合同はしなかった。  こうして、智理は野球人生初の公式戦をキャッチャーとして、迎えることになった。僕は今でも不安そうな智理を思いだす。小学校二年生。サイズの大きなユニホームは、タボダボで小さな体にキャッチャーの道具を着けると、まるで、五月人形のようである。見よう見まねで、守備につくと、智理は僕の方を振り返った。マスクごしに今にも泣き出しそうだった。それが可哀想で申し訳なくて、さすがにこたえた。  智理はか細い声で  「しまっていこう」  と声をかけた  偶然か運命か。智理は高校野球、最後の大会をキャッチャーとして迎えることになった。あの五月人形は、堂々とした体格に成長して、いかにもキャッチャーらしくなった。声質の高い智理の声は外野まで、よく届く。スタンドで見ている僕はそれだけで涙がでそうである。  しかし、そんな感慨にふけっていらのは親だけである。  智理は格闘していた。初球こそストライクだったが、網川のコントロールは定まらない。四連続のボールで先頭打者をだした。智理は早々にタイムをとって、マウンドに向かった。
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