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キャッチャーが、マウンドに行くタイミングは難しい。いきなりの四球だが、智理は、しかし、笑って網川の背中をたたいて、一言、二言、声をかけて、すぐにベースに戻った。こんなときは、長々話しても効果はないと智理はいう。
次打者、送りバント。しかし守備のミスでたちまちランナー1塁2塁となる。智理はその都度大きな声をかけて指示をだす。バッターは3番。2球目、アウトコースのストレートはベース前でショートバウンドした。智理はそれを止めることができず、その間にランナーの進塁を許す。
記録の上ではピッチャーの暴投となる。だが智理は唇をかんだ。大会前の練習試合から彼は暴投を止めるのに苦労していた。智理がキャッチャーに抜擢されたのは前年の秋から。小学生の時以来である。ほとんど初の挑戦と言っていい。キャッチャーは怒られ役である。練習で、試合でさんざん怒られた。それでも、黙々とキャッチャーの練習を続けた。
「抑えたら、ピッチャーのおかげ。打たれたら、キャッチャーの責任」
そんな事を言いはじめた。キャッチャー、智理のポリシーである。インサイドワークも、スローイングも、申し分なくなってきたが、ここに来て、暴投を後ろにそらすことが、多くなった。
先輩が「慣れて来ると、なぜか暴投を止められなくなることがある」と智理に言ったそうだ。今がその時期かもしれない。しかし、よりによって大会前のこの時期に、なぜ?。必死に練習した。ピッチングマシンを、ワンバウンドになるように調整し捕球の練習を繰り返した。体はアザだらけである。
試合前のある夜、智理はいつものように
「素振りしてくる」
と、外にでた。僕はしばらくして、そっとのぞいた。街灯の下でミットを構えた智理が何度も足の運びを確認している。じっと見ていると僕に気づいた。
「なに?」
僕は思わず
「ミルクティー買ったろか?」
二人で、近くの自販機に向かった。夜の練習の後、智理はいつも僕を呼んでミルクティーを買いにゆくのが日課になっていた。智理は缶をあけて、ごくりと、喉を潤すと、つぶやくように言った。
「練習の後のミルクティーも、もうすぐ終わりやな」
僕も缶をあけて智理の背中をたたいて言った。
「まあ、悔いの残らんようやれや」
智理は、わかっとるとこたえる代わりに黙ってうなずいた
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