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さっきまで控えめだった下弦の月が高度を上げ、纏っていたベールを脱いだ。
繊細さはそのままなのに、感度を増した光が俺たちをぼんやり照らす。
「そんなもんだろ。
全てが望み通りとは、いかない」
「なんで………」
水野が月を見上げながら微かに微笑んでいるように見える。
「なんで私、冴島君と別れたのかなぁ」
俺に尋ねているような、それでも答えを求めていないような。
少し肌寒い夜空に、水野の声が吸い込まれていく。
「────俺の大学の時の恩師、すごい文学に造詣が深い人で。
言葉選びが、なんていうか独特で気難しい人だったんだけど、俺は好きだった」
週末の飲食街は、まだあちらこちらで歓笑が起きていて。
噴水だけが声を上げるここにも、反響して届いてくる。
夜風が少し冷たくなってきていたけれど、そこだけ温度が違っている気がした。
「その先生の言葉の中で、ひとつ印象深いものがあって。
『人は年老いたとき、過去の恋人のことをひとつひとつ、すくい上げるものだ。
その時、野いちごを食べた時に感じる、甘酸っぱいさで満たされるようにしなくてはいけない。
どんな出会いも別れも、時が必ず円熟させてくれる。
今痛くても、その時は野いちごになるのだから、心配しなくていい。
だから、時を動かしてはいけない。
止まった時計を動かすと、変化についていけなくて、いつか腐ってしまうよ』
今なら分かるんだ、その意味」
缶コーヒーを一口含むと、野いちごとは真逆の苦味が存在をはっきりアピールしながら喉を通過していく。
「止まった時計は、そのまま大事にしまっておこう」
水野の表情を伺うけれど、月と目を合わせたまま唇をかみしめていたから。
何も言わず、もう一口、コーヒーを口に含んだ。
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