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どんなことにだって価値がある。そう、殺人にだってある。
例えば、いじめをしていた女、徒党を組んで弱い立場の者を足蹴にしていた男、いわゆる悪人と見える奴らがどんなに酷い死に方、殺され方をしたとしても悲しむ人間は少ないだろう。むしろ、ざまーみろと後ろ指を指しながらゲラゲラ笑って、それが当たり前みたいな顔をする。罪悪感なんてなく、そうであることが当たり前のように、殺した側よりも、殺された側が悪人であるかのような扱いをうけることがある。
殺された側が悪いって決まっているのに。
しかし、これが少し変われば見方も、感じ方だって変わってしまう。
そう、殺されたのが幼い少女だったら、無抵抗な幼い少女だったら一転して、殺された側が一気に悪人になる。むしろ、ヒドいくらいだ。
命は平等だ。人権の尊重だと言いながらこうしてきっぱりとした不公平が存在する。悪人だから殺されたって構わない。幼いから殺されたらいけないなんてのは不条理の極みとは言わない。
そりゃいじめをしているのははっきり言えば悪いし、仕返しされたってしかたないと思っていた。
その日を迎えるまでは、
家に帰ると家が血肉にまみれていた。たぶん、父親と母親と兄らしき肉塊がゴロゴロと床に転がっている。疑うことなく死んでいる。もしも生きていたらそれはホラーだ。父親だか、母親だか、兄だかわかんない肉塊のさらに奥にその男は佇んでいた。返り血はいっさい浴びていない片手にはおそらく凶器だろう、大振りのナイフが握られている、これだけは血でベットリだ。というか、その男は見覚えのある顔だった。まぁ、友人というわけじゃないちょっとした顔見知り程度だ。
「…………ぁ、あんた」
逆上することもできず、私はその場にへたり込む、単純に血と肉のせいかもしれないというのは秘密だ。
「ああ、あの時の万引き娘か」
と、あっさりと私の悪事を呼称に引っ張り込んできた。そーですよ。あの時の万引き娘ですよと言い返すことはできない。完全にブルっていた。
殺されるだろうな、痛いだろうなと思うと自然と涙があふれた。怖いわ、めっちゃ怖い。ホラー映画なんかで生意気な小娘が無残に殺されるのをゲラゲラ笑ってた頃が懐かしい。そして、その頃の私と是非とも交代したい、どっちみち私だから死ぬんだけれど、でも、男は私に手出しすることなく通り過ぎていく。へ? 間抜けな声がでる。
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